研修を実施するタイミング【零細企業の人材育成】

人事系コンサルタントの永江です。
従業員、スタッフに対しての研修を実施するタイミングは、どういうときが良いのでしょうか。

入社時に行う研修

まず、時期として間違いないのは入社時に行うものです。新入社員研修と呼ばれるもので、その業界が初めてなら業界のことから、そうでない場合でも会社の事情やいろいろな必要事項を理解してもらいます。特に新卒新入社員の場合には、社会人としての心構えのようなところから研修がスタートするケースもあります。タイミングを考えるのが難しくないいちばんのものではないでしょうか。

管理職研修、管理職準備研修

これもあまりタイミングが難しくない部類に入ります。そろそろ管理職にしようと考える中堅社員、管理職となる直前や直後、このあたりならまさにそのときに研修ができればいちばん良いです。多少はズレることも考えられますが、なるべくそのタイミングということで、考え方は難しくありません。

タイミングが難しい研修は?

何かが始まるときは、始めようとするときはタイミングとして考え方が難しくないのですが、どのタイミングが良いか考えにくいケースもあります。それは、たとえば、中堅どころの社員に、もうひとつ成長をしてほしいと考えているような場合です。普段の仕事ぶりに不満はないから「もっと成長してほしいから」といってもピンと来ないかもしれません。でも、将来を考えたら今はまだ不足を感じるので、やっぱり研修は実施したい。

他にも、「まさに今でしょう」というのが分かりにくいタイミングがあって、そういうときには、「急がないしな」などと先延ばしになることもあるかもしれません。そのうちに機会を逃して成長が遅れるともったいないですね。現任の管理職研修で、そういう課題をもった企業さんも実際にいらっしゃいます。

思い立ったが吉日

タイミングがはかりにくいときには、まずは、その研修の必要な度合いと、重要度を確認しましょう。緊急度はそれほど高くないはずですが、重要度は意外と高いかもしれません。重要度が高い場合には、「思い立ったが吉日」と考えてよいかもしれません。そして、重要であり、どうせやるなら、というふうに考えられるなら早めに実施することをお勧めします。遅れた分だけ、成長の機会も遅くなり、それは会社にとっての見えにくい損失となります。

 


 



朝の時間を活用することを人材育成にも当てはめてみる【零細企業の人材育成】

人事系コンサルタントの永江です。
私は朝がけっこう早いです。
これは、特にそうするようなきっかけがあったわけではなくて、子どもの頃から自然とそうなっていました。
たまたまそうだっただけではあるのですが、良かったと思うことがいっぱいあります。

朝の時間帯を活用した理由

朝というのは、基本的には、寝て、起きたあとのしばらくの時間です。だから、脳も体も休息をしたあとであり、なにかやるにしても集中しやすく効率も良いです。また、朝日を浴びることで身体的な良い影響もあるようで、ちゃんと朝は起きて、意味のある活動をするのにとても向いている時間帯というこです。

「朝が弱い」のウソ

まあ、ウソとまで言うと言い過ぎだとは思いますが……。「朝が弱い」とか「朝が苦手」といって、しかもそれを言い訳のように使う人を私は信用しません。なぜなら、その人も、他の人と同じように24時間の枠の中で生活をしているからです。精神状態などの理由で夜に寝付けないこともあるとは思いますが、やっぱり、基本的に、「朝が弱い」というのは、正しくもない言い訳にしかならないと思います。

朝にできる人材育成のヒント

さてさて、人材育成にあてはめて考えます。育成の対象となるスタッフにとっても、とうぜん、朝の時間帯は価値あるものです。昼ごはんを食べたあとに眠くなる時間帯よりも、だんだん疲れてきた夕方の時間帯よりも、しゃきっと集中して物事に取り組めるのが朝の時間帯です。だから、アタマを使って自分で考えなくてはいけないことや、集中して取り組むべきことを朝の時間にさせるようにします。

一方で、あまり考えなくてもいいルーティン作業や、あーもこーもなくやらざるを得ないのでやってしまう作業などは、午後からの時間帯でやってもらいます。もちろん、取引先との約束などがあってそのとおりにいかないこともあると思いますが、基本的な原則としてそういう時間の使い方をオススメします。

効率良い時間の使い方をクセ付ける

エネルギーがより必要なことを朝の時間帯にさせるようにして、時間を効率よく使うクセを身につけさせます。そうすれば、その人の成長速度はそうじゃないときより速くなるし、会社に対する貢献度合いも高まります。もちろんそれは会社にとっても良いことなので、やらない理由がありません。

効率良い時間の使い方をするクセをつけさせて、どんどん成長してもらって、会社の利益に貢献してもらいましょう。

 


 



人材育成とモチベーションと、気持ちの高揚の話【零細企業の人材育成】

人事系コンサルタントの永江です。
育成の対象となる従業員のモチベーションは高いに越したことはありません。ただし、モチベーションが高いと勘違いされる別の状態には注意です。

モチベーションってなんだろう?

まずモチベーションという言葉の意味を確認します。モチベーションとは、何らかの言動の動機であったり、目的意識であったり、「しよう」とする意欲のことです。今やっている勉強や仕事や作業の目的を知り、その意義を理解し、「だから、やろう」と思えていれば、集中して、質の良い行動につながりやすいです。だから、人材育成においては、対象となる人のモチベーションを高めようという話になってくるわけです。

モチベーションと勘違いされやすい「気持ちの高揚」

一方で、モチベーションが高い状態だと勘違いされやすい場面があって、それは気持ちが高揚してハイになっている状態です。「テンションが高い」といわれるものがそれに近くて、なんとなく気持ちが盛り上がっているだけです。「おすすめできない系の自己啓発セミナー」などは、参加者がこうなっている場合が多いです。

単なる気持ちの高揚は本来のモチベーションと違って、いちど冷めると戻すための労力を必要とします。本当のモチベーションは、しっかりした動機づけや目的意識なので、簡単に下がってしまうことはないはずなのに。

教育や育成の場面で重要な本来のモチベーション

教育や育成の場面では、対象となる人がしっかりした目的意識を持っていると学習効果が高まります。逆に「ただ言われたから」という乗りで研修に参加しても、時間を激しく浪費するだけで意味がありません。目的意識を持って、動機づけがしっかりした状態が本来の意味でのモチベーションが高い状態なので、意味ある研修にするためには非常に重要なものになります。

企業さんで研修を実施させていただくとき、このあたりに注意をしています。特に若い社員さんなんかはエネルギーがあるので、「テンションが高い状態」になりやすいです。それ自体は悪くないのですが、単に気持ちが高揚しているだけにならないように考えています。ちゃんと目的があって、それを理解して、動機づけがしっかりしている状態で研修が進むように工夫をしています。

 

OJTのときに考えるOffJT的な考え方【零細企業の人材育成】

人事系コンサルタントの永江です。
小さな会社では、OffJTを行うのが難しくて、育成はOJTのみということも珍しくありません。

OJTとOffJT

OJTとは、On the Job Training の頭文字をとったもので、仕事の現場で行われる訓練=トレーニングのことです。まだ習熟の途中であっても実際にやるべき業務に従事させ、それによって知識や技術を身につけさせます。一方のOffJTとは、Off the Job Training の略で、現場の業務とは別の機会をもうけて教育や訓練を行います。

OJTとOffJTは、どちらが良いというものではありません。理想的な運用としては、その場、そのとき、対象となる従業員のスキルや将来性など、いろいろなことを複合的に考えて適切な手法を使い分けます。比較的に失敗のゆるされる業務ならいきなりOJTで指導するのもアリですが、絶対に失敗してはいけない業務はOffJTでよく練習や訓練をしてから本番に臨みます。また、現場から離れた環境で研修を行うことによって知識面での学習効果を高めるという狙いでOffJTを行うこともあります。

OJTに頼りがちになるときの注意

どちらのトレーニング手法もそれぞれに有効性があるのですが、小さな会社はなかなかOffJTの機会を業務時間中に設定出来ないことが多いです。そのため指導や教育はOJTで行われることが多く、それ自体は良くないということはありません。ただ、OJTを行うときには注意があって、そのひとつが、指導内容の体系的な考えが忘れ去られがちということです。

物事を知って、理解して、練習して、できるようになって、という習熟には、その効率のために体系立てられた理論があったほうが良いです。そして、それにもとづいて効率的な順番も考えられると良いです。でも、現場の仕事というのはその順番どおりに発生するとは限りません。そして、効率の良くないステップでトレーニングが行われてしまうわけです。

体系的にOJTを考える

訓練は効率よく行われるのがよく、そのほうが対象のスタッフは早く成長します。スタッフが早く成長すればそれは会社の利益になるからそれを目指すために、効率よい訓練をするというのは当然といえば当然ですね。実際に現場で発生する業務によって訓練をするわけですが、ただ漫然と仕事を教えるよりも指導内容の体系というものは考えておいたほうが良いでしょう。

指導する内容を体系立てて考えておくということは、身につけてほしい業務の内容を体系立てて整理しておくということでもあります。業務や作業の内容を分類して、必要な知識やスキルも分類して、行き当たりばったりにならないように整理整頓しておきます。実際の現場では理想的な順番で指導できないことも多いと思いますが、教育係にあたる人が体系の意識を持っているのといないのとではちょっとした指導にも違いが出ます。そのとおりにならなくてもいいので、体系的にOJTを考えておくことをお勧めします。

 


 



ノートの書き方、メモのとり方

思考力トレーナーの永江です。
以前にもブログ記事として書いたことがありますが、ノートの書き方はなんでもいいというわけじゃないというお話。

たとえば中学生のノートの個性

たとえば中学生の学習ノートを見ると、書き方はその子の性格も反映してか、本当にさまざまです。ビッチリ隙間なく埋めている子もいれば、自由奔放にあっちこっちに文字が踊っているものもあります。特に、板書用ではなく自分が自由に使えるものだと、その違いはむしろ見るのが楽しくなるほど大きいです。

大人が仕事で実施するメモとりも様々

仕事で電話をとることがある人は、メモをとる機会も同時にあると思います。あるいは、上司からの指示を聞きながらメモをとるということもあると思います。そのときもやはり人によって個性があります。中にはあとで見るとさっぱり分からない状態になっている人もいます。逆に、他人が見てもすごく読みやすく、キレイな文字で読みやすく書かれているものもあります。とにかくメモ取りもさまざまです。

どうでもいいわけじゃない

中学生のノートにしても、社会人のメモにしても、何かの目的があって書いているはずです。目的に合うように紙と筆記用具を使うなら、目的に合うような使い方があるはずです。そのときに「書く」ということをのみ目的としてしまっては適切でない状態になります。そのときに耳にしていることをしっかりに認識するためなのに出来ていないとか、あとで読む必要があるのに読めない文字になっているとか。そんなことにならないように、常に、ノートも、メモも、書き方には注意をしたほうが良いです。

少し具体的なことを書いておくと、文字があとで読めるレベルで書かれていること、どういうふうに紙の上にレイアウトしていくのかを感がていること、縦横の並びを意識すること、などが基本的なものとして有効です。これらのことにちょっと注意しながら書くようにすると良いかと思います。

叱るときはスパッと一瞬で【零細企業の人材育成】

人材育成コンサルタントの永江です。
社長さんが従業員を叱る場面、上司が部下を叱る場面、先生が生徒を叱る場面、いずれもスパッと一瞬で終わらせるのがよいです。

長々とお説教が続く人

いらっしゃいますよね。叱るというよりも、注意を与えるということで、長々とお説教をしつづける人。私は出くわしたことがないのですが、30分から1時間という人も珍しくなく、それより長く数時間という人もいらっしゃるそうです。いけません。

説教が長くなる人は、たとえば自分の説明が相手に正しく伝わっているのかどうか自信がないのかもしれません。ちゃんと伝わらないとまた同じ失敗をする。だから、自分で納得できるまで説明を続けるのだ。あるいは、部下が犯したミスに対してのマイナスの感情を説教することで晴らそうとしているのかもしれません。実はこの感情は説教しつづけることで晴れるものではないので、延々と説教が続きます。

長い説教のメリットとデメリット

長い説教のメリットは……、おそらく無いです。本人の気が晴れるかというとそうでもないですし、それによって部下の成長が促進されるかというとそれもありません。まあ、「おれがたっぷりと指導してやった」と勘違いしている人もいるかもしれませんが、実際にそういうことはありません。だから、メリットはないと思ってもらってけっこうです。

デメリットはたくさんあります。仕事の中なら時間が無駄になります。そして時間をかけたわりに叱られている従業員の心には響きません。「早くおわらないかな」くらいのことを思われて話の中身を聞いてもらえなくなるのが関の山。お互いに不愉快な感情だけが残って教育効果が薄いのが、長い説教というものです。

注意喚起、叱るときはスパッと!

とはいえ、従業員は失敗をします。人間ですし、自分よりも経験が浅いのであればなおさら。注意を与えなくてはいけない場面や、指導すべき状態になっていることはおおいにありえます。そのときには、スパッと短時間で、できるだけ短く叱って、それでおしまいにします。

インパクトを与えるためにキツい言い方をするのは場合によっては有効です。ただ、これはキャラクターによるので、ただ単に、ダメだった箇所を短く指摘して、どうするのが良かったかを考える機会と時間を与えます。短いやりとりだと伝わらない心配を持つかもしれませんが、短く伝える工夫と努力は経営者に必要なものだと考えます。できないのであればトレーニングすべき事柄のひとつだと思います。

従業員・スタッフに注意を与えるときには、あるいは叱るときには、短くスパッと一瞬で終わらせることをお勧めします。

 


 



上に立つものが持つ「ちゃんと説明する」という責任

思考力トレーナーで、人事系コンサルタントの永江です。

そういうものだから、そうする。決まりだから、ルールだから。

しばしば耳にすることです。学習塾や学校で生徒が「どうしてそうなるの?」と先生に尋ねます。それにたいして先生の答えが「そういうものだから、そう覚えておいて。」というもの。会社でも同様の場面があって、私自身が何度も出くわしました。部下が上司に「これをこうするのは、なぜでしょうか?」と質問すると、上司が部下に答えるのが「会社の決定だから。」とか「そういう決まりだから。」というものです。

言葉の意味として間違いではないんですよね。そういうものだから、そうする、そうなる。決まりだから、そうする。決定事項であるからそうする。それ自体は間違ってはいないことがほとんだと思います。

理由を伝えられないことの弊害やデメリット

そういうものであるとか、決まりであるとかは、たしかにそのとおりなのでしょうが、言われたほうはそれで納得するのでしょうか。私が接するケースだけではないと思うのですが、やはりどこかに不満げな感じになってしまうと思います。学校や塾の生徒なら、モヤモヤした感じで無理やり覚えようとするから勉強が楽しくありません。会社の部下なら、不満を持ちながらその業務にあたることになります。

子供の勉強についていえば、せっかく持った「どうしてだろう?」という好奇心を阻害することになります。会社の部下の例でいうと、意欲が低い状態で仕事をするのでパフォーマンスが悪くなる可能性があります。いずれにしても、理由が説明できないというのはあまりよろしくありmせん。

「そういうもの」だと伝えがちになる3つのパターン

学習塾や学校の勉強の場合は、事実として「そういうもの」だと言えるケースが3つに分類できます。ひとつは自然の摂理としてそうであるもの。2つめが、便宜上で誰かがそうだと決めて一般的に運用されていもの。3つめは、それによって成立する定理のようなものです。

1つめの自然の摂理は、たとえば万有引力があることのように、いわば「神がそうしたもうたこと」です。おそらくいくらつきつめても「理由」は分からず、せいぜい、「原理」を解明できるくらいでしょう。こういうものの説明に、私の場合なら、まさに「神様がそうしたのだ」と言います。これについては「理由などない」と言ってもいいし、我々が生きているこの世界は、そういう「神の創造物」のうえに成り立っています。

2つめのものは、たとえば数学で使う加減乗除の記号「+、ー、×、÷」や等号「=」や不等号「>、<」、簿記において貸借のどちらのグループを右にするのか、左にするのか、といった事柄などです。これらは、そもそもそうじゃなくても問題はなかったのですが、いったん誰かがそういうふうに決めて、あるいは自然に共通の符号としてみんなが使うようになって、それで、後世に生きる我々もそれに倣っているだけというものです。だから、これらについて「なぜ?」と質問されたら、私は、「誰かがそう決めた。誰かが決めなければ話が進まなかった。進めてくれた人に感謝しながら、それに倣って我々も話を進めよう。」と説明します。

3つめについては、1つめと2つめによって成立する事柄なので、それを使って説明できます。だから、3つめのことについて質問されて答えられないとしたら、その事柄について知識がないか、怠慢か、口止めをされているか、のどれかです。知識がないなら「すまないが、知らないのだ。」と正直に言う潔さがほしいところです。怠慢は論外なので心を入れ替えましょう。口止めというほどじゃなくても会社の場合なら、立場上の問題で言えないこともあると思います。この場合も「決まりだから」や「会社が決めたことだから」ではなくて、もっと上手な言い方を考えるべきだと思います。「すまないが、今は言えないのだ。申し訳ない。」と素直に言える上司のほうが部下は信頼するんじゃないでしょうか。

「上に立つ」ものの心構えとしての「ちゃんと説明する」姿勢

私は、上述の3つのパターンを意識したうえで「そういうものだから」と言っておしまいにすることを出来るだけ避けています。神様がそういうふうに作ったことと、誰かがそういうふうに決めたこと。これらは、本当にそのように伝えます。そして3つめのパターンについては全力で説明をします。分からない場合は「分からない」と答えます。塾の学習指導の場合は、自分への宿題として、次回までに調べて答えるようにしています。

会社員として働いていたときも、部下から質問されたときに「そういうもの」という言い方はぜったいにしないようにしていました。自分がそういう言われ方をしたときに納得できなかったからです。ときには、同僚の管理職が部下に対して「会社が決めたから」と言っているのを聞いて「彼にとってはあなたが『会社』なのだから、そういう言い方では不満が残る」と主張したこともあります。これは今になって考えると越権行為であった可能性もありますが……。

いずれにせよ、下から仰ぎ見られながら質問を受けたときに、それを受ける立場の人間は「ちゃんと説明する」姿勢が重要だと思います。そうでなければその立場にいることの責任を果たしているとはいえないとさえ思います。「調べてからあとで答える」でもかまわないと考えればそれほど大変ではないはずです。上に立つ人の心構えとして持っているといいのではないでしょうか。

 


 



「ダメ」と言うより「こうしよう」と言う【零細企業の人材育成】

人事系コンサルタントの永江です。
思考力トレーナーとしての活動もあって、「人に指導すること」についても毎日のように考えています。

「ダメ」と叱るのが良くないが……

誰かと話しているときに、ふとした話の流れで「叱る」とか「説教をする」とか、そこまで厳しい感じじゃなくても「指導する」というときの話になることがあります。そして、「ダメ」という言い方で叱ると叱られた人は「自分自身を否定された気がする」から良くない、ということを言ったりします。ほとんどの人は「そうだね」と納得してくれるか、「なるほど、そういうものか」と理解を示してくれるかです。

でも、たとえばそのあとで、「よし、私も注意してみよう」と思ってくれる人であっても、さらにその少し後には「あなた、△△しちゃってダメじゃない」と子供を叱っていたりします。おそらく無意識なのでしょう。おもわず「ダメ」という言い方が出てしまいます。

アタマで分かることと、実践できることは、また別もの

アタマはでは分かっていることも、とっさのときに実践できるかというとまた別です。私自身もそういうことはあると思います。なにせ、「思わずやっている」から気づいていないはずです。我々はこのことを肝に銘じておくべきなのではないかなぁと考えています。

特に、他人の考えを耳にして「なるほど」と思えたことは要注意で、もともと自分の中から出てきたことではないので、しょせんは上っ面だけの理解です。だから、事にあたったときにシュッとうまくそれをできません。本当にそのことに納得できて、それをするのが良いと思ったら、明確な意識をもって自分を顧みて、変えていくようにしないといけないのかもしれませんね。

部下や後輩に注意を与えるとき、良くない行動に対して「△△はダメ」というよりも、良い行動を示して「◯◯していたらよかったね」と言うのがよいです。ちなみに、言い方はスパッといちどだけ。繰り返したりせずにいちどだけ言います。伝わったかどうか気になっても、短時間で言い切ります。

人間というものは、たとえ行動そのものを否定されただけであっても、まるで自分自身が否定されたかのように感じてしまいます。「単にひとつのミスを注意しただけなのに、ひどく落ち込まれた」と困った表情でおっしゃる経営者さんは少なくありません。このことを回避できる否定の言い回しはなかなか難しいので、それよりも、良い行動を示してあげて、それをしていこうと促しましょう。やらないほうがよい行動を言葉で示すことで、その行動がイメージされて脳に刷り込まれるということもあるかもしれませんからね。指導は、否定ではなく、模範となるイメージを与えるのが良いです。

 


 



困難な問題にぶつかったとき、他者からの支援と自力解決とのバランス

思考力トレーナーの永江です。
考えるチカラを高めるためには、ちょっとした注意や心構えも必要です。

自力で解決できない問題にぶつかったときの違い

学習塾で指導をしていると、生徒さんが自力では解けない問題にぶつかっている様子を見ることがあります。ドリルやワークといった課題で、数学系や物理系理科などでよく見かけます。そういうときに、本人の性格が現れているのでしょうか、講師である私に頼ってくるタイミングに違いがあります。

分からないと感じたとたんにすぐにどうしたらいいか訊いてくる子。あるていどの時間を自力で考えることに充てたあとで、断念して質問をしてくる子。ひたすら自力での解決にこだわって、こちらから手を差し伸べようとしても拒否する子。さまざまです。

極端であることは避けて支援者を頼る

あまり早々にあきらめてしまうのも良くなくて、何かというと他者に頼ってしまうクセがついてしまう可能性があります。愛嬌があったりするとそれはそれで処世術として成立しそうですが、思考力を鍛えることにはつながりません。一方で、いろいろと自力で考えるものの結局は解決できない子の場合は、限られた時間の中での効率的な成長がしにくいといえます。

なにごとも極端であることには注意が必要であるように、この場合も、中間あたりにベストがあるように思います。もちろん、その子の能力や成長の度合いによってその中間点のベストも違ってきますが、とにかく、どちらかの極端を避けたいところです。あるていど考えても解決しないときは、講師=支援者を頼るのが良いです。

適度に考え続けることをヒントによって促す

自力で考えることをほどほどにして、塾であれば講師の私を頼ってもらうのが良いです。しかし、ここで講師=支援者である私のほうにも注意が必要となります。それは、答えや解法をそのまままるごと教えてしまっては思考力=考えるチカラを鍛えることにならないということです。相手の状況なども考慮しながらヒントを与えるていどにします。

ヒントを与えて、また考えてもらう。そのときもそれまでと同様に、あるていど考えても分からなければ次のヒントを出します。そうやって、生徒の様子をみながら、ていどの調整をしながら、常に考えつづけるように促します。

他者からの支援と自力解決とをバランスよく

これは塾での指導にかぎったことではなく、たとえば会社で教育係たる上司が部下に接するときにも考えられます。もちろん、学校で先生が生徒の指導にあたるときにも考えられます。育成ということを目指しているなら、考える機会は存在しつづけさせるのが良いでしょう。

しかし、ちょっと面倒なのが自力解決にこだわるタイプです。この場合はヒントをもらうことを拒否してきます。そういうときに、とにかくヒントを出すからという言い方ではどうどうめぐり。その問題を考えることを一旦停止させて、場合によってはヒントだけなら受け取るほうが自身のためにも、まわりの人のためにも良いのだということを諭すようにするのが良いと思います。

 

適度な自力解決志向と、適度な他者からの支援。
このバランスをとることが思考力アップのひとつのポイントです。

 


 


勉強の量と質の話【加賀市 片山津 こほく寺子屋】

加賀市湖北地区会館で小中学生むけの学習塾をやっている永江です。
勉強をして知識を身につけるときに、その量と質は気にしたほうが良いです。もちろん、小学生くらいだと理解しにくいことですし、中学生でも誰もが腹落ちして理解できるかというとそういうことはないと思います。

意識しないと量を重視しがち

たとえば、漢字をおぼえるために何度も繰り返して書く練習をします。市販の漢字練習帳などは同じ漢字を短時間に繰り返して練習するために利用されています。そして、子供が自分で「勉強をやった!」という気になるのは、あるていど量を書いたときです。まわりの大人も「お、今日はこんなにたくさん練習したのか。えらい!」と言って量をこなしたことを褒めがちです。

今のところ、我々の身の回りにあるいろいろなものや仕組みが、学習において量をこなすことを良しとしがちになる気持ちを作り出しています。「何ページやった」「何問やった」とかが、こども自身や、まわりの大人たちの満足度になります。実際に量が有効である事柄もあるので悪いことではないですが、ちょっと注意が必要だとも思います。

量と質を両立させる

勉強や学習をなんのためにしているのかというと、知識を身につけるためです。あとで役立つかどうかその時点では分からないけれども、何かの役に立つならなおよいです。ということは、とりあえず脳のどこかに蓄積されないと時間がもったいないので、脳に残りやすいかどうかで考えます。

たとえば漢字練習帳では、同じ文字を短時間でいくつも書きます。10回の練習ができる枠があるとしたら、最初の1回や2回はちゃんと形を意識しますが、そのあとは、ぽわーんと他のことを考えていても書けてしまいます。しかも、その後に、他の漢字、他の漢字、他の漢字、と、これも短時間にたくさんの漢字を練習したとして、どれだけ記憶に残りやすいかというと非常に疑問です。実際に、記憶に関する学術的な書籍にあたると、こういう練習は効果的ではないようです。

漢字というものは形が命ですし、一方でそれぞれに音や意味を持っています。だから漢字を記憶するにはそれらがセットになった脳の使い方をするのがよくて、そのためには「漫然と量をこなす」のは時間がもったいない。ちゃんと、形を意識して、音を読んで、意味を考えられる学び方が望ましいです。その学習内容によって有効な質をちゃんと保った状態で、あるていどの量を持つのが良いです。

質を持った勉強の仕方

ちゃんと質を持った勉強のしかたはどういうものかというと、これは学習内容によります。ただ、一般的にいえるのは、ちゃんと内容を意識しながら読むなり書くなり考えるなりすることになるのではないでしょうか。私が高校生のときに、単に受験のためだけに世界史の勉強をしました。それはもうあっという間に忘れてしまいました。数学や物理は、それが身の回りの何かに当てはめて考えたときにどうなるかと想像しながら勉強したりしていたからか、いまでもちゃんと覚えています。忘れていたと思ったことも、ちょっと説明文を読んだらすぐに思い出せます。これは、その勉強をしていたときの、勉強の質が良かったからだと思います。

英単語などは、「繰り返し読むと覚えられる」と言われます。それはたしかにそうなのですが、それこそ無意識でただ発声している状態じゃなくて、ちゃんと意味というか、その言葉のイメージをアタマに浮かばせた状態で繰り返し読むほうが良いはずです。やっぱり量だけではダメです。人間は、ごく限られた単体の情報を記憶するよりも、複数の情報が関連しあってつながった状態で記憶するほうが脳に定着させやすいそうです。だから、質を持った勉強というのは、もともと学ぼうとすることは有機的にたくさんの情報が集まったもののはずなので、それらを分断することなく、つながりをもってインプットやアウトプットをしていくことなのだと思います。

 

こほく寺子屋は小中学生むけの学習塾です。
原則としてマンツーマンで個別指導を行います。
お子さんの学習が効率のよいものになり、本来のチカラを最大限に発揮できるようになることを目指しています。
こほく寺子屋についての詳細は下記リンク先のページからご覧ください。

加賀市片山津 学習塾 こほく寺子屋のページ