フレームワーク的な図示みたいに目で見えるものが思考を助けてくれる

思考力トレーナーの永江です。
われわれ人間は、特に現代人は、日本の現代社会に生きるものは、職業人は、職業人じゃなくても生きていくためには、とにかく考えるということから逃げるわけにはいきません。毎日、毎日、考えることの連続です。だから、考えることが上手になったほうが幸せな人生を送りやすいと思っています。

ただ考えるだけというのは難しい

考えるということを純粋に独立させて、それのみを行うとします。つまり、体を動かさずに、目を閉じて、閉じなくてもいいですが、ただ脳みそのみを活動させて考えます。それで考え事が捗るということはあるでしょうか。私は無いと思います。

でも、ときどきいらっしゃいます。考え事をするときに、腕を組んで、目を閉じて、じっと座った状態で「うーん」と考えている人が。あるていど以上の年齢の男性に多いようなイメージです。「わしはこのスタイルなんだ!」と言われそうですが、あれは良くないと思うんですよね。

私は、腕を組んでただ脳みそのみを活動させて思考をしたことがあります。一方で、いろいろと工夫をして体をなにかしら動かして思考したこともあります。体を動かすにもいろいろありますが、思考とは直接に関係ない動きもあれば、思考を助けるために紙に書き出すような動きもあります。思考するときにどういうのが良いか比較できるわけですが、比較してみるとやっぱり体を動かすのが良いです。比較してみれば、ただ考えるだけというのは上手な思考ができないといえます。

体(手)を動かして視覚化もする

2019年の今になってみればあちこちで言われ尽くしたことですが、視覚化するのは思考にとって非常に重大な助けになります。ビジネスをやっている人なら「視覚化せよ」と言われたことがある人は多いはず。ビジネスをやっていなくても、視覚化によって「お!」と思った経験のある人もいらっしゃるでしょう。思考のときに体を動かすのが良くて、さらに、どうせ体を動かすなら、手を使って視覚化をすると良いのです。

ただし、視覚化をするといってもどのような視覚化が良いのかということがあります。それを知らない状態では、あまり効果が高くない視覚化をしてしまう可能性が高いです。どうせ体を動かすなら手を動かして視覚化をする。そして、どうせ視覚化をするのであれば、より効果を期待できる視覚化の方法をとるのが良いです。

効果の高い視覚化の方法

効果の高い視覚化の方法を目指すとき、そこにちょっとアタマを使ったり、工夫をしたりする必要があります。アタマを使うというのは、視覚化をする対象をどのようにレイアウトするのかを考えることです。縦横の位置を気にしたり、囲みを使ったり、線や矢印でつなげたりします。これらは工夫の一貫でもあるのですが、さらに使える工夫としてフレームワーク的な考え方を用います。

思考の話をするときのフレームワークとは、考える対象となる物事を、考えやすくするための枠組みです。たとえばどういうものがあるかというと、フレームワークをいろいろまとめたページがありますので、こちらをご覧ください。これらは先人たちが考え出してくれた非常に便利な枠組みです。この枠組を使うと、われわれが出会うであろういろいろな問題を考えやすくなります。特に、図示やイラスト、グラフィカルな表現を意識して手を動かすと、より思考がスムーズになります。まだ経験のない人はぜひ試してみてください。

 


 



自分のことは他人に訊く

思考力トレーナーの永江です。
キャリアコンサルタントとしてのお仕事の中で感じること。

自己理解や自己分析

進路やキャリアについての相談を受けると、自然と自己理解や自己分析の話になることが多いです。過去や現在についての自分を振り返ってもらって、そこから未来のプランを考えたりします。また、私自身も一人の事業者として自己分析をするし、その結果をもとに事業の計画を立てたりもします。これは、いちどやったらそれでいいものではなく、折に触れて、あるいは意識的に機会をもうけてやるとよいです。人は常に変化をしますから。

自己理解や自己分析というのは言葉のとおり、自分のことを知って分かっておこうとするものです。働くということに関連するものなら、経験や能力、実績などの棚卸しをします。そして、自分の性格や価値観、好みの傾向なども分析をして、どういう仕事の選択をすれば幸せな人生になるかと考えたりします。漫然と人生の選択をするよりも、やはりあるていどしっかりと考えておくのが良いと思います。

「自己」によることの限界

自己理解も自己分析も、とうぜんですが自分で自分に対して行います。でも、自分のことは自分が一番に分かっているかというとそうではありません。意外と分かっていないのが自分というものであり、そこにはどうしても限界があります。ときどき「自分のことなんだから、自分でよく分かっていますよ」という人がいらっしゃいますが、比較して一番かもしれませんが、それで十分に正確であるということもなさそうです。

また、考えてみたら分かることですが、職業として発揮すべき自分というのは主観で見えている自分ではありません。あなたが職業の中で活躍させるべきあなたは、他人から見たあなたです。あなたを評価し、あなたの活動に感謝をし、あなたの能力や人柄に惹かれて報酬を用意してくれるのは他人です。他人から見られたあなたでしか仕事は成立しません。そういう意味でも、やはり「自己」による理解や分析の限界も知っておくのが良さそうです。

インタビューを受けて得た気づき

先日に、とあるインタビューを受けました。ある媒体に掲載をしていただくためのものですが、ライターさんが私にインタビューをして、私を紹介してくださる記事を書いてくださいます。その中で「つまり、永江さんは◯◯なんですね。」と言われてハッとしました。たしかに、言われてみればそうだ。でも、自分で意識することはあまりなかった。しかし、他人から見える私はそうなんだな、と。

個人事業主としての私は自分で自分を評価することが多いです。一方でクライアントさんなどから評価をされているはずですが、客観的に言えることを明確に伝えてくれているとは限りません。むしろ遠慮をされて、感じていることでも言ってもらえていない可能性もあります。実際に、インタビューによって客観的な自分の一部を知ることができました。こうやって他人に自分を掘り下げてもらうのは非常に価値のあることだとあらためて感じた出来事でした。

コンサルティングを受けるということも、今回の私がインタビューを受けたことに似た価値があります。自分では気づかない自分のことに気づかせてもらえるチャンスとなります。自分のことは自分が分かっているとは断定せずに、自分が気づいていない自分に気づくために、他人に訊いてみることをお勧めします。

 


 



ノートの書き方、メモのとり方

思考力トレーナーの永江です。
以前にもブログ記事として書いたことがありますが、ノートの書き方はなんでもいいというわけじゃないというお話。

たとえば中学生のノートの個性

たとえば中学生の学習ノートを見ると、書き方はその子の性格も反映してか、本当にさまざまです。ビッチリ隙間なく埋めている子もいれば、自由奔放にあっちこっちに文字が踊っているものもあります。特に、板書用ではなく自分が自由に使えるものだと、その違いはむしろ見るのが楽しくなるほど大きいです。

大人が仕事で実施するメモとりも様々

仕事で電話をとることがある人は、メモをとる機会も同時にあると思います。あるいは、上司からの指示を聞きながらメモをとるということもあると思います。そのときもやはり人によって個性があります。中にはあとで見るとさっぱり分からない状態になっている人もいます。逆に、他人が見てもすごく読みやすく、キレイな文字で読みやすく書かれているものもあります。とにかくメモ取りもさまざまです。

どうでもいいわけじゃない

中学生のノートにしても、社会人のメモにしても、何かの目的があって書いているはずです。目的に合うように紙と筆記用具を使うなら、目的に合うような使い方があるはずです。そのときに「書く」ということをのみ目的としてしまっては適切でない状態になります。そのときに耳にしていることをしっかりに認識するためなのに出来ていないとか、あとで読む必要があるのに読めない文字になっているとか。そんなことにならないように、常に、ノートも、メモも、書き方には注意をしたほうが良いです。

少し具体的なことを書いておくと、文字があとで読めるレベルで書かれていること、どういうふうに紙の上にレイアウトしていくのかを感がていること、縦横の並びを意識すること、などが基本的なものとして有効です。これらのことにちょっと注意しながら書くようにすると良いかと思います。

お金を払って得られるもの

思考力トレーナーの永江です。
今日のお話は、ふと考えてみたこと。
お金を使うことで……。

生きていくためにお金が必要

おそらく日本で生きているほとんどの人が、生きるためにどうしても必要なものをお金によって得ています。食べ物、飲み物、生活の拠点(家など)、水道光熱費などにあたるものなどにお金が必要です。その他にも、私の場合は通信費がないと仕事にならないし、自動車に関係するものも無ければ仕事に出かけられません。

どのようなものが生きるために必要なのかは人によって異なる部分もあります。でも、なんらか、絶対に必要なものをお金によって得なければいけないという点はすべての人に共通すると思います。お金を払って得られるもののひとつ、まず、生きていくために必要なものが挙げられます。

より充実した居心地

今日、この記事を書くきっかけになったのがこの部分です。ある打ち合わせの予定を、いつもの場所ではなく、レンタルスペースで実施することを思いつきました。ちょっとそれが必要な事情があってのことなのですが、とにかく場所を変えるアイデアです。そして、その場所の候補にいくつか考えたのは「居心地が良さそうな素敵空間」ばかり。どうせ変化があるなら、良い方向での変化を求めてのことでした。

変化した先の場所だともろもろの収支を考えるとちょっとだけ出費が増えます。でも、そのちょっとだけ増える出費によって、いつもより素敵な空間での打ち合わせができるんです。打ち合わせそのものにはその空間の素敵さは必要ないのですが、過ごす時間がなんとなく充実したものになりそうな空間でした。得られるものは単にいつもより少し良い居心地だけ。それでも、お金を払って得るものとしては良いものなんじゃないかと感じました。

増えて返ってくる投資としての支払い

ビジネスをやっている人なら誰でも考えることですが、どうせお金を使うならば、投資となって後で増えて返ってくるのがよいです。上述したものはそれの期待があまりないですが、明らかに期待して出費するものは確かにあります。

投資家が行うまさに投資はそうだと思いますし、一般の人でも、投資だと考えて支出をするケースが少なくないと思います。たとえば、社会人の方が資格などのためにする勉強にかかる費用。これなんかは、その後に可能性がある仕事と、それにともなう収入が期待されています。継続的なその収入が期待できるのであれば、資格取得のためにかかる費用(学校や講座、受験料など)は安いものだと考えられるわけです。

お金を払って得られるもの

お金を払って得られるものはいろいろあります。いろいろあるのですが、目の前にある物品やサービスだけではないというのが重要です。そこに付随して得られる感覚や、有効な投資として増えて返ってくる資産。そういう目に見えないものに意識を向けてみるのも良いのではないかと思います。

 


 



成果を出すには素直さが大切

永江です。
加賀市で学習塾をしながら、金沢でも学習塾の講師をやり、思考力トレーナーとして個人むけのコンサルティングもやっています。今日は、その中で感じることについてのお話です。

成果が出やすい人とそうでない人

企業組織をクライアントとするコンサルティングとは違って、学習指導や個人コンサルティングは、まさに個人が相手です。そうすると、私がやっていることの成果は、その個人がどう変化するかに現れます。学力が上がったかどうか。資格試験に合格したかどうか。思い描いたような就職ができたかどうか。収入を増やすことができたかどうか。

いろいろな人の成果の上がりぐあいを比べてみるとやはり傾向が見られます。数値として統計をとっているわけではないですが体感として分かります。基本的に、私がアドバイスをしたことを素直に受け入れる人は成果が出やすく、そうでない人はそれなりです。やっぱり、素直さというものは大切だと思います。

アドバイスを受け入れる素直さとは

素直であるということは、なんでもかんでも言うとおりにするということではありません。コンサルティングを受けたり、学習指導を受けたりする場合であれば、アドバイスを実行せずして否定しないということになります。「◯◯をやってみてはどうですか」と伝えたときに、やる前からそれを否定するのかしないのか。素直な人は、まず、とりあえずやってみる行動力があります。

やらない理由はいくらでも言えるのですが、とにかくやる前から否定する人は成長もしないですね。やってみて、頻度や回数、レベルなどの点で言ったとおりにはできないこともあります。それでも、否定してやらないよりは格段に違いがあります。やってみることではじめて見える景色がありますからね。

そもそも何かの相談ごとに来るとか、コンサルティングを受けるとか、学習塾で勉強をするとか、いずれの場合も課題があるから来ているわけです。課題がある状態を改善するためには、これまでの自分のどこかを変えないといけません。つまり、改善したければ変化が前提となるわけです。

変化が前提なのに、人からの助言を受け入れずに、とにかく言い訳をならべて実行しない。もちろん、私が伝えることが必ず正解とは限りません。私のアドバイスに沿って実行をして、うまくいかない可能性はあります。でも、成果を出す人は、助言どおりにやってうまくいかなくても、まず文句などを言うことはありません。前向きに、次のチャレンジに向かいます。こういう姿勢が、課題を克服する変化につながるのでしょうね。

 


 



考えるために必要な時間の過ごし方

思考力トレーナーの永江です。
人は何かを考えるときに、ゼロ・タイムというわけにはいきません。いくらかかの時間は必要で、その長さは人によって、考える対象によって異なります。

考えるのに時間がかかる人

この記事を書くきっかけになった出来事があります。学習塾の生徒さんで、作文を書こうとするときに、えらく時間がかかる人がいます。それは、もう、ものすごく考えることに時間を費やし、書くための時間確保に苦労するほどです。そして、この生徒さんの成果物としての作文は、だいたいが、比較的に短いものになってしまいます。

子供だからというわけでもなく、大人でも考えるのに時間がかかる人がいます。実は私もどちらかというと時間がかかるほうで、すばやくパッと物事を判断するのは苦手です。だから、すぐに決断しなくてはいけない案件はどうも苦手で、そういうのはなるべく回避させてもらうようにしています。

考えている間になにをするか

ただ腕を組んで考える時間を過ごすのはもったいないように思います。私の場合は、紙に何かを書きながら考えたりします。あるいは、部屋の中を歩き回りながら考えることもあります。この場合は、考えていることと体の動きに直接の関係はありません。あるいは、いったんそのことを忘れて、他のことを考えるようにしてしまうこともあります。

私自身が意識をしていることは、ただ考えるだけの過ごし方をしない、ということです。積極的に思考を進めたいときには紙に書くなどのアウトプットを一緒にやることにしています。アタマの血流を良くする目的で体のどこかや全体を動かすこともあります。他のことを考えるようにしてしまうのは、いったん時間をおける場合であって、後でフッと良いアイデアが浮かんできたりします。

無為な時間を過ごさないこと

いずれにしても、考える時間が無駄になるのがイヤなんですね。だから、考える時間をどうするのかも考える。ただ考える、つまり、ただ脳だけを活動させる状況で良い思考にはならないと考えています。

 


 



言葉の定義を大切にすること

思考力トレーナーの永江です。
言葉には意味があって、その意味を共有できるからコミュニケーションが成立します。

辞書に載っている「言葉の定義」

国語辞典などには、言葉が持っている意味が掲載されています。ひとつひとつが「言葉の定義」と言ってもいいのではないかと思います。言葉によっては複数の意味があって、数字をふって順番に説明されています。知らない言葉であればその意味を知ることができて、知っている言葉であっても自分の知らなかった意味に出会うことができます。基本的に、辞書に載っている「言葉の定義」は、学者さんというか、その言語の専門家の方々が認定されたものだと思いますが、あるていど広く一般的な使い方に沿ったものだと思います。だから、辞書に掲載されている意味でその言葉を使っていれば、間違いということはないはずです。

自分自身の認識をもとに言葉を使う

では、我々がふだんから辞書に載っている意味で言葉を使っているかというと、実はそうではありません。辞書を片手に確認しながら言葉を使うことはないですから。ふだん言葉を使うときは、自分の頭の中にある認識をもとに作文しています。場合によっては辞書を見ることもあると思いますが、ほとんどの場合で、我々は自分自身の認識をもとに言葉を使っているわけです。

人によって言葉の認識にズレがあり、誤解が生まれる要因となる

あるひとつの言葉についてお互いが持っている認識がピッタリと合致していれば誤解を生んだりすることも少なくなるでしょう。でも、ちょっとした認識のズレはどうしても発生します。ある言葉に持っている認識、そして、その言葉から受ける印象やイメージは、どうしても個々人によって差があります。ところが、この差異は、なかなかコミュニケーション中の前提としにくく、むしろ差異がないことを前提として言葉のやりとりをしがちです。だから、言葉の認識のズレはそのまま残り、誤解や行き違いが生まれる要因となります。

誤解なく伝えるためには、言葉の定義を意識しよう

言葉を使うということは、相手に何かを伝えようとするからです。もちろん、独り言のようなものもありますが、基本的にはコミュニケーションのために言葉があります。ということは、誤解のある状態で言葉を相手に渡してしまうのはもったいなくて、正しく伝わるに越したことはありません。言葉の意味には定義があるが、それは人によってズレていることも大いにありえる。だから、相手に伝えるときには、言葉の定義、言葉が持っている意味において、相手と認識を共有できているかに注意しましょう。ちょっと面倒くさそうですが、けっこう大切なことだと思います。

 


 



「机上の空論」で重要な部分は

思考力トレーナーの永江です。
世の中に広く使われている諺(ことわざ)や、慣用句、言い回し、などなどありますが、そのことでちょっと考えてみたこと。

「机上の空論」は良くないというイメージ

ほとんどのみなさんが「机上の空論」というと良くないイメージで捉えると思います。つまり、実際になにかの役に立つわけではない理論であったり、屁理屈であったり、そういうものです。私自身もこの言葉には良くないイメージを持っていますし、注意すべきだと考えています。それこそ、私が使う言葉や、説明する内容がこれになっていないようにしなくてはいけません。

何が良くないのか、どこが良くないのか

ところで、「机上の空論」という言葉は大きく二つに分けられます。「机上」つまり机の上であるということと、「空論」つまり役に立たない理論であるということの二つです。分けて考えてみるとわかるのですが、何が良くなくてどこが良くないのかというと、空論であるということです。役に立たない理論であるからダメなのです。

一方の、机上であることは、それ自体は別に悪いことではないと思います。これを「頭の中」と置き換えたとしても、人が考えるのは頭の中でのことだし、文字どおりにn机の上に情報を並べておくのも思考方法として間違いではありません。机上(または頭の中)であることは悪くなくて、空論(=役に立たない)ことが悪いわけです。

悪いこととセットになって悪いイメージを持ってしまうこと

分解して考えてみるとそう思えることでも、ひとかたまりになっていることでイメージがごっちゃになることがあります。「机上の空論」という言葉がまさにそれで、なんとなく、「机上」という言葉も良くないイメージを持っている人がいます。いわく、「実際のことがともなわない考えなんて『机上の空論』だよ」という感じ。

でも、先に述べたように、机の上だったり、頭の中であったりすること自体は悪くありません。頭の中で考えていることも、完全に理論が正しく組み立てられているなら、それは正しい理論となります。だから、何が悪いのか、どこが悪いのかをちゃんと考えて、本来なら悪くないものにまで変なイメージを持たないようにしたほうが良いのだと思います。

 


 



「仮ぎめ」の効用、おすすめの考え方

思考力トレーナーの永江です。
我々が何かを決断するときには、事柄の大小があります。人生を左右するような決断は大きい方です。今日の晩ごはんのメニューをどうするかというのは、比較的に小さい方になるのではないでしょうか。よっぽど大きいことや切羽詰まっていることは別として、日常のほとんどの判断や決断は小さい方に入るのではないかと思います。

作文が書けない子

学習塾で作文を指導していると、テーマが与えられたとたんにスラスラを書き出す子もいれば、なかなか書き出せない子もいます。書き出せない子の頭の中は、そのときにどういう状況になっているのかと考えたりします。

いくつかのパターンに分類できるように思うのですが、その中のひとつとして「これ、書いて大丈夫なのかな?」という不安があって書けないケースです。この場合は、頭の中にあるものを紙に書いたとして、それでOKなのだろうか、失敗にならないだろうか、そうしたらまた書き直しになるのではないだろうか、などといろいろな不安があるようです。その不安が払拭できないので書けないわけです。

不安で動けないのは大人にもある

何かをやろうとしたときに、「やるという判断」をして行動に起こします。そのときに、「本当にそれで大丈夫だろうか」「失敗するのじゃないかしら」「失敗したらやりなおし」というふうに考えてなかなか行動できない人がいます。これは子供にかぎったことではなく大人にもあって、同動力の有る無しとなって現れている場合も多いです。

程度の差こそあれ多くの人にある事象なので、そのこと自体が悪いわけではないです。でも、その「程度」がひどいと何もできないという結果になります。そういう人には、「仮ぎめ」という考え方をお勧めします。

「仮ぎめ」なので変更してよい

最初に書いたように判断する事柄には大小があります。そして、我々の判断事項のほとんどは小さいです。それほど大きくありません。であれば、その判断は「仮ぎめ」としてあくまでも仮のものだとします。だから、うまくいかないときには再度の設定をすればいいんです。

失敗すること自体、そもそも仮ぎめなのであって当たり前。「じゃあ、次のプランを考えよう」というくらいの軽いノリで大丈夫です。だって、それは人生を直接に左右するほど大きなことではありませんから。だから、行動力がないとか、なにか行動を起こすのに時間が掛かってしまうという人は、その後で変更してよいという大前提をもって「仮ぎめ」をしてみましょう。

 

この話の中には、そもそもどっちでもいい、ということや、人生のたいていのことはやりなおせる、ということが含まれています。

 


 



継続するときのひとつのコツ=他者のチカラを借りる

思考力トレーナーの永江です。
何事も継続してこそ、だと思います。特に人材を育成するようなお仕事をさせていただいていると感じます。学習塾だとハッキリと分かりますね。地味な演習を継続した子は成績につながりやすいし、そうではい生徒さんは「それなり」でしかありません。

だいたい、みんな、継続は苦手

大人になってから何かを続けようと考えたことは何度もあります。その中にはずっと続けていられたこともあれば、あっという間に続かなくなったこともあります。こういうことは他の人にもあると思うし、私のまわりの人たちにもたくさんいます。前の記事でも書きましたが、多くの人は「続けるのは難しい」と言います。私もそう感じています。自身では、どちらかというと苦手な項目だと思ってもいるので、「できるよ」と言うために工夫も考えています。そして、この記事のテーマそのものですが、他人に頼って継続しやすくするというのもひとつのコツです。

一緒にやることで続けやすくする

たとえば、学生時代にジョギングを始めて、それを続けていこうと思いました。きっかけは友人の軽い一言だったのですが、その友人と他の友人もあわせて3人で始めることになりました。そうすると、たったひとりでやるわけではなく、「あいつらと一緒に走る」という行為になるので続けやすかったです。一緒にやる人がいるから、楽しみながらできるし、ジョギングに関して言えば会話もしながら走れます。仲間がいると続けやすいと感じたことの一例です。

逆に、たったひとりで始めることになるから続けにくいのが日記など。基本的に他人に見せるものではないので続かなくなることが多いです。子供の頃から数えたら、日記や小遣い帳は、おそらく10本の指で足りないくらいの回数で三日坊主をやらかしています。

監視してくれる人を設定する

仕事面でいえば継続しないと問題があることがあって、それが継続できないとヤバいというものがいくつかあります。会社員であれば上司がチェックしてくれると継続しやすいです。他者が頼りというとちょっと情けない感じもしますが、うまく使えるものは上司といえば使えばいいです。

現在の私のような個人事業主だと上司がいません。そういう場合にはクライアント=お客様が監視役になることがあります。また、コンサルタントやコーチを雇って監視役をしてもらうことも考えられます。帳簿が苦手な知り合いが、それでも自社の会計をちゃんと把握するために、税理士さんを監視役にしているという話を聞いたこともあります。

自分だけだと弱いのが人間

人間は基本的に弱い生き物だと思います。自分ひとりだと本当にそう。だから、誰かを頼るというのはぜんぜん情けないことではなくて、一方的に頼り切るとしたらちょっと考えたほうがいいというていどのことです。他人を頼ること自体は悪くありません。

それは、継続するということについても同じなので、他者のチカラを借りるということも、継続のために考えていいのではないかと思います。