叱るときはスパッと一瞬で【零細企業の人材育成】

人材育成コンサルタントの永江です。
社長さんが従業員を叱る場面、上司が部下を叱る場面、先生が生徒を叱る場面、いずれもスパッと一瞬で終わらせるのがよいです。

長々とお説教が続く人

いらっしゃいますよね。叱るというよりも、注意を与えるということで、長々とお説教をしつづける人。私は出くわしたことがないのですが、30分から1時間という人も珍しくなく、それより長く数時間という人もいらっしゃるそうです。いけません。

説教が長くなる人は、たとえば自分の説明が相手に正しく伝わっているのかどうか自信がないのかもしれません。ちゃんと伝わらないとまた同じ失敗をする。だから、自分で納得できるまで説明を続けるのだ。あるいは、部下が犯したミスに対してのマイナスの感情を説教することで晴らそうとしているのかもしれません。実はこの感情は説教しつづけることで晴れるものではないので、延々と説教が続きます。

長い説教のメリットとデメリット

長い説教のメリットは……、おそらく無いです。本人の気が晴れるかというとそうでもないですし、それによって部下の成長が促進されるかというとそれもありません。まあ、「おれがたっぷりと指導してやった」と勘違いしている人もいるかもしれませんが、実際にそういうことはありません。だから、メリットはないと思ってもらってけっこうです。

デメリットはたくさんあります。仕事の中なら時間が無駄になります。そして時間をかけたわりに叱られている従業員の心には響きません。「早くおわらないかな」くらいのことを思われて話の中身を聞いてもらえなくなるのが関の山。お互いに不愉快な感情だけが残って教育効果が薄いのが、長い説教というものです。

注意喚起、叱るときはスパッと!

とはいえ、従業員は失敗をします。人間ですし、自分よりも経験が浅いのであればなおさら。注意を与えなくてはいけない場面や、指導すべき状態になっていることはおおいにありえます。そのときには、スパッと短時間で、できるだけ短く叱って、それでおしまいにします。

インパクトを与えるためにキツい言い方をするのは場合によっては有効です。ただ、これはキャラクターによるので、ただ単に、ダメだった箇所を短く指摘して、どうするのが良かったかを考える機会と時間を与えます。短いやりとりだと伝わらない心配を持つかもしれませんが、短く伝える工夫と努力は経営者に必要なものだと考えます。できないのであればトレーニングすべき事柄のひとつだと思います。

従業員・スタッフに注意を与えるときには、あるいは叱るときには、短くスパッと一瞬で終わらせることをお勧めします。

 


 



社長が評価できる範囲は限定的である【零細企業の人事】

人材育成が得意な人事系コンサルタントの永江です。
思考力トレーナーでもあります。

会社の規模にかかわらず人事評価はしっかりしたい

部下スタッフに対しての評価をどうすると良いのかという点において、小さな会社だから曖昧でよいなんてことはありません。会社の規模にかかわらず納得感を得られる評価をすべきです。そして、その評価を伝えるべきです。小さな会社だから、忙しくて時間がないから、というのはすべて言い訳にすぎません。経営者は、しっかりと従業員を評価すべきです。

ふわっとした評価の仕方は問題がある

零細企業の場合は、社長とスタッフの距離が近くなります。場合によっては仕事をしている間ずっと一緒に居ることもあります。そのうえで人事評価をして査定となって報酬の変更があったりします。その際に、評価項目をきちんと定めておくのが理想ですが、なかなかそうはいかずに、あいまいなままフワッと人物の全体を評価するケースもよく見られます。これはあまり良くないです。

なぜ項目を定めておく必要があるかというと、親しい関係での付き合いによって、仕事以外の部分を評価に加えてしまうからです。たとえば、なんとなく声が自分の好みだから、全体的に良い評価をしてしまう。イメージのよくない地域の出身だったから評価を下げてしまう。そんなことあるかと思いそうなことを、人は無意識にやってしまうのです。この点にはよく注意をしなくてはいけません。

限定的であるはずの「社長からの評価」

評価項目を定めるということは、評価する事柄を明確にすることです。一方で、「評価の対象としないもの」を明確にすることでもあります。項目が具体的に定まっていれば、そこに並んだ項目以外で評価することはなくなります。

そもそも経営者がスタッフを見て、仕事に関することで評価できることは限定的です。なぜなら、仕事の間の付き合いしか基本的にはないからです。業務時間外に食事に行ったりするかもしれませんが、そこでもスタッフは完全な素の姿を見せるわけではありません。やはり上司である社長に対しては遠慮もします。だから、仕事に関することしか見えないし、評価できないものなのです。

評価項目を設定していないと、仕事と関係ないことに評価が引っ張られるおそれがある。社長が評価できることはそもそも限定的なので、そこを肝に銘じて評価は項目の設定からしっかり行う。これが零細企業においても必要です。

 


 



成果を出すには素直さが大切

永江です。
加賀市で学習塾をしながら、金沢でも学習塾の講師をやり、思考力トレーナーとして個人むけのコンサルティングもやっています。今日は、その中で感じることについてのお話です。

成果が出やすい人とそうでない人

企業組織をクライアントとするコンサルティングとは違って、学習指導や個人コンサルティングは、まさに個人が相手です。そうすると、私がやっていることの成果は、その個人がどう変化するかに現れます。学力が上がったかどうか。資格試験に合格したかどうか。思い描いたような就職ができたかどうか。収入を増やすことができたかどうか。

いろいろな人の成果の上がりぐあいを比べてみるとやはり傾向が見られます。数値として統計をとっているわけではないですが体感として分かります。基本的に、私がアドバイスをしたことを素直に受け入れる人は成果が出やすく、そうでない人はそれなりです。やっぱり、素直さというものは大切だと思います。

アドバイスを受け入れる素直さとは

素直であるということは、なんでもかんでも言うとおりにするということではありません。コンサルティングを受けたり、学習指導を受けたりする場合であれば、アドバイスを実行せずして否定しないということになります。「◯◯をやってみてはどうですか」と伝えたときに、やる前からそれを否定するのかしないのか。素直な人は、まず、とりあえずやってみる行動力があります。

やらない理由はいくらでも言えるのですが、とにかくやる前から否定する人は成長もしないですね。やってみて、頻度や回数、レベルなどの点で言ったとおりにはできないこともあります。それでも、否定してやらないよりは格段に違いがあります。やってみることではじめて見える景色がありますからね。

そもそも何かの相談ごとに来るとか、コンサルティングを受けるとか、学習塾で勉強をするとか、いずれの場合も課題があるから来ているわけです。課題がある状態を改善するためには、これまでの自分のどこかを変えないといけません。つまり、改善したければ変化が前提となるわけです。

変化が前提なのに、人からの助言を受け入れずに、とにかく言い訳をならべて実行しない。もちろん、私が伝えることが必ず正解とは限りません。私のアドバイスに沿って実行をして、うまくいかない可能性はあります。でも、成果を出す人は、助言どおりにやってうまくいかなくても、まず文句などを言うことはありません。前向きに、次のチャレンジに向かいます。こういう姿勢が、課題を克服する変化につながるのでしょうね。

 


 



上に立つものが持つ「ちゃんと説明する」という責任

思考力トレーナーで、人事系コンサルタントの永江です。

そういうものだから、そうする。決まりだから、ルールだから。

しばしば耳にすることです。学習塾や学校で生徒が「どうしてそうなるの?」と先生に尋ねます。それにたいして先生の答えが「そういうものだから、そう覚えておいて。」というもの。会社でも同様の場面があって、私自身が何度も出くわしました。部下が上司に「これをこうするのは、なぜでしょうか?」と質問すると、上司が部下に答えるのが「会社の決定だから。」とか「そういう決まりだから。」というものです。

言葉の意味として間違いではないんですよね。そういうものだから、そうする、そうなる。決まりだから、そうする。決定事項であるからそうする。それ自体は間違ってはいないことがほとんだと思います。

理由を伝えられないことの弊害やデメリット

そういうものであるとか、決まりであるとかは、たしかにそのとおりなのでしょうが、言われたほうはそれで納得するのでしょうか。私が接するケースだけではないと思うのですが、やはりどこかに不満げな感じになってしまうと思います。学校や塾の生徒なら、モヤモヤした感じで無理やり覚えようとするから勉強が楽しくありません。会社の部下なら、不満を持ちながらその業務にあたることになります。

子供の勉強についていえば、せっかく持った「どうしてだろう?」という好奇心を阻害することになります。会社の部下の例でいうと、意欲が低い状態で仕事をするのでパフォーマンスが悪くなる可能性があります。いずれにしても、理由が説明できないというのはあまりよろしくありmせん。

「そういうもの」だと伝えがちになる3つのパターン

学習塾や学校の勉強の場合は、事実として「そういうもの」だと言えるケースが3つに分類できます。ひとつは自然の摂理としてそうであるもの。2つめが、便宜上で誰かがそうだと決めて一般的に運用されていもの。3つめは、それによって成立する定理のようなものです。

1つめの自然の摂理は、たとえば万有引力があることのように、いわば「神がそうしたもうたこと」です。おそらくいくらつきつめても「理由」は分からず、せいぜい、「原理」を解明できるくらいでしょう。こういうものの説明に、私の場合なら、まさに「神様がそうしたのだ」と言います。これについては「理由などない」と言ってもいいし、我々が生きているこの世界は、そういう「神の創造物」のうえに成り立っています。

2つめのものは、たとえば数学で使う加減乗除の記号「+、ー、×、÷」や等号「=」や不等号「>、<」、簿記において貸借のどちらのグループを右にするのか、左にするのか、といった事柄などです。これらは、そもそもそうじゃなくても問題はなかったのですが、いったん誰かがそういうふうに決めて、あるいは自然に共通の符号としてみんなが使うようになって、それで、後世に生きる我々もそれに倣っているだけというものです。だから、これらについて「なぜ?」と質問されたら、私は、「誰かがそう決めた。誰かが決めなければ話が進まなかった。進めてくれた人に感謝しながら、それに倣って我々も話を進めよう。」と説明します。

3つめについては、1つめと2つめによって成立する事柄なので、それを使って説明できます。だから、3つめのことについて質問されて答えられないとしたら、その事柄について知識がないか、怠慢か、口止めをされているか、のどれかです。知識がないなら「すまないが、知らないのだ。」と正直に言う潔さがほしいところです。怠慢は論外なので心を入れ替えましょう。口止めというほどじゃなくても会社の場合なら、立場上の問題で言えないこともあると思います。この場合も「決まりだから」や「会社が決めたことだから」ではなくて、もっと上手な言い方を考えるべきだと思います。「すまないが、今は言えないのだ。申し訳ない。」と素直に言える上司のほうが部下は信頼するんじゃないでしょうか。

「上に立つ」ものの心構えとしての「ちゃんと説明する」姿勢

私は、上述の3つのパターンを意識したうえで「そういうものだから」と言っておしまいにすることを出来るだけ避けています。神様がそういうふうに作ったことと、誰かがそういうふうに決めたこと。これらは、本当にそのように伝えます。そして3つめのパターンについては全力で説明をします。分からない場合は「分からない」と答えます。塾の学習指導の場合は、自分への宿題として、次回までに調べて答えるようにしています。

会社員として働いていたときも、部下から質問されたときに「そういうもの」という言い方はぜったいにしないようにしていました。自分がそういう言われ方をしたときに納得できなかったからです。ときには、同僚の管理職が部下に対して「会社が決めたから」と言っているのを聞いて「彼にとってはあなたが『会社』なのだから、そういう言い方では不満が残る」と主張したこともあります。これは今になって考えると越権行為であった可能性もありますが……。

いずれにせよ、下から仰ぎ見られながら質問を受けたときに、それを受ける立場の人間は「ちゃんと説明する」姿勢が重要だと思います。そうでなければその立場にいることの責任を果たしているとはいえないとさえ思います。「調べてからあとで答える」でもかまわないと考えればそれほど大変ではないはずです。上に立つ人の心構えとして持っているといいのではないでしょうか。

 


 



「ダメ」と言うより「こうしよう」と言う【零細企業の人材育成】

人事系コンサルタントの永江です。
思考力トレーナーとしての活動もあって、「人に指導すること」についても毎日のように考えています。

「ダメ」と叱るのが良くないが……

誰かと話しているときに、ふとした話の流れで「叱る」とか「説教をする」とか、そこまで厳しい感じじゃなくても「指導する」というときの話になることがあります。そして、「ダメ」という言い方で叱ると叱られた人は「自分自身を否定された気がする」から良くない、ということを言ったりします。ほとんどの人は「そうだね」と納得してくれるか、「なるほど、そういうものか」と理解を示してくれるかです。

でも、たとえばそのあとで、「よし、私も注意してみよう」と思ってくれる人であっても、さらにその少し後には「あなた、△△しちゃってダメじゃない」と子供を叱っていたりします。おそらく無意識なのでしょう。おもわず「ダメ」という言い方が出てしまいます。

アタマで分かることと、実践できることは、また別もの

アタマはでは分かっていることも、とっさのときに実践できるかというとまた別です。私自身もそういうことはあると思います。なにせ、「思わずやっている」から気づいていないはずです。我々はこのことを肝に銘じておくべきなのではないかなぁと考えています。

特に、他人の考えを耳にして「なるほど」と思えたことは要注意で、もともと自分の中から出てきたことではないので、しょせんは上っ面だけの理解です。だから、事にあたったときにシュッとうまくそれをできません。本当にそのことに納得できて、それをするのが良いと思ったら、明確な意識をもって自分を顧みて、変えていくようにしないといけないのかもしれませんね。

部下や後輩に注意を与えるとき、良くない行動に対して「△△はダメ」というよりも、良い行動を示して「◯◯していたらよかったね」と言うのがよいです。ちなみに、言い方はスパッといちどだけ。繰り返したりせずにいちどだけ言います。伝わったかどうか気になっても、短時間で言い切ります。

人間というものは、たとえ行動そのものを否定されただけであっても、まるで自分自身が否定されたかのように感じてしまいます。「単にひとつのミスを注意しただけなのに、ひどく落ち込まれた」と困った表情でおっしゃる経営者さんは少なくありません。このことを回避できる否定の言い回しはなかなか難しいので、それよりも、良い行動を示してあげて、それをしていこうと促しましょう。やらないほうがよい行動を言葉で示すことで、その行動がイメージされて脳に刷り込まれるということもあるかもしれませんからね。指導は、否定ではなく、模範となるイメージを与えるのが良いです。

 


 



仕事が嫌ならやめればいいし……【零細企業の人事】

人事系コンサルタントの永江です。
小さな会社を経営していると、一人の人の言動が会社全体に影響を及ぼすことがあります。良い影響なら大歓迎ですが、それが悪い影響だと困ります。今回は、悪い影響を及ぼす人のお話です。

仕事がイヤだ嫌だという人

ときどきいらっしゃいますね。仕事の愚痴ばかり言っている人。仕事がイヤだとずっと言っている人。誰にだって嫌だと思うことはあるし、それが仕事の中にあることも珍しくないです。私の仕事の中にも、できれば避けたいと思うことはあります。でも、仕事自体がイヤだという人もいて、そういう人は、もう、仕事をやめればいいのに、と思います。

「いや、そういうわけにもいかない」「生きていくために仕事はしなくちゃいけないし」と返ってきそうですね。でも、何もいまやっている仕事だけが仕事じゃありません。世の中には、他にもたくさん仕事があります。イヤじゃない仕事を探せばいいんです。で、他の仕事を探すことを勧めたりしても、「そんな簡単に次の仕事は見つからないよ」と返ってきます。

苦労が美徳? 仕事を楽しんではいけない?

もしかしたら、そういう人の中には、「苦労することが美徳」と思っている人がいるのかもしれません。苦労することは良いことであり、「嫌だと思う仕事も頑張ってやっている自分はえらい」と考えている。そして、その自己アピールを周囲にしている。ものすごく自己肯定感の低い人の行動ですね。

あるいは、仕事というものを楽しむことは良くないと考えているかもしれません。仕事は苦労するものであって、楽しいというのは遊びであり、仕事に楽しいという感情を持ち込んではいけないという思い。大間違いですけどね。仕事は楽しんでいいし、楽しみながらだろうがなんだろうが、誰かの役に立てば報酬がいただけるのが仕事です。楽しいと思えるならそれに越したことはありません。

やめると言う人ほどやめない

会社に勤めていて、積極的に退職しようとする人は、会社にとってはけっこう重要度の高い人材だということがあります。けっこうあります。珍しくありません。一方で、「やめる」「やめたい」と言っている人が、言うほどやめないということもよく耳にします。やめたいならすぐにやめればいいのに、自分の退職を交換条件のようにして上司につきつける人もいるそうです。

やめるという言う人ほどやめないとすれば、これは上司からすると面倒です。おそらく放っておいてもいいのですが、そもそもパフォーマンスが低い可能性が高いです。あるいは、言動によって周囲に悪い影響を与えている可能性も高い。だから、本当は、「やめる」と言い出したら、「わかった。退職届を書いてくれ。」と言って書類を渡すのがいちばんです。そしてとっととやめていただく。そこで、「いや、すぐにやめるとまでは……」と言いながら、けっきょくやめないから困りものなのです。

「嫌だ」「やめる」の連発は指導対象

仕事の愚痴や、嫌であるということ、「やめる」や「やめたい」という発言を繰り返すことは職場の雰囲気を悪くします。だから、その人がどのていどの能力を発揮しているのかに関わらず指導の対象にしましょう。理由は「周囲への悪影響が懸念される」くらいでよいです。そして、指導をしても繰り返されるなら罰則を適用してもいいと思います。

もちろん、一方的に叱るだけというのも好ましくはありません。ちゃんと相手の言い分を聴くということも上司の心構えとして必要です。でも、ちゃんと聴くということを実行しつつも、その言動が指導の対象であるという認識は持っていないといけません。特に小さな会社で仕事への不満をまわりに吹聴するのは問題行動です。仮に本当の意味での不満があるなら、上司や経営者など、ちゃんとした筋を通して主張すべきです。それができない人を大事に扱う必要はありません。

 


 


継続するときのひとつのコツ=他者のチカラを借りる

思考力トレーナーの永江です。
何事も継続してこそ、だと思います。特に人材を育成するようなお仕事をさせていただいていると感じます。学習塾だとハッキリと分かりますね。地味な演習を継続した子は成績につながりやすいし、そうではい生徒さんは「それなり」でしかありません。

だいたい、みんな、継続は苦手

大人になってから何かを続けようと考えたことは何度もあります。その中にはずっと続けていられたこともあれば、あっという間に続かなくなったこともあります。こういうことは他の人にもあると思うし、私のまわりの人たちにもたくさんいます。前の記事でも書きましたが、多くの人は「続けるのは難しい」と言います。私もそう感じています。自身では、どちらかというと苦手な項目だと思ってもいるので、「できるよ」と言うために工夫も考えています。そして、この記事のテーマそのものですが、他人に頼って継続しやすくするというのもひとつのコツです。

一緒にやることで続けやすくする

たとえば、学生時代にジョギングを始めて、それを続けていこうと思いました。きっかけは友人の軽い一言だったのですが、その友人と他の友人もあわせて3人で始めることになりました。そうすると、たったひとりでやるわけではなく、「あいつらと一緒に走る」という行為になるので続けやすかったです。一緒にやる人がいるから、楽しみながらできるし、ジョギングに関して言えば会話もしながら走れます。仲間がいると続けやすいと感じたことの一例です。

逆に、たったひとりで始めることになるから続けにくいのが日記など。基本的に他人に見せるものではないので続かなくなることが多いです。子供の頃から数えたら、日記や小遣い帳は、おそらく10本の指で足りないくらいの回数で三日坊主をやらかしています。

監視してくれる人を設定する

仕事面でいえば継続しないと問題があることがあって、それが継続できないとヤバいというものがいくつかあります。会社員であれば上司がチェックしてくれると継続しやすいです。他者が頼りというとちょっと情けない感じもしますが、うまく使えるものは上司といえば使えばいいです。

現在の私のような個人事業主だと上司がいません。そういう場合にはクライアント=お客様が監視役になることがあります。また、コンサルタントやコーチを雇って監視役をしてもらうことも考えられます。帳簿が苦手な知り合いが、それでも自社の会計をちゃんと把握するために、税理士さんを監視役にしているという話を聞いたこともあります。

自分だけだと弱いのが人間

人間は基本的に弱い生き物だと思います。自分ひとりだと本当にそう。だから、誰かを頼るというのはぜんぜん情けないことではなくて、一方的に頼り切るとしたらちょっと考えたほうがいいというていどのことです。他人を頼ること自体は悪くありません。

それは、継続するということについても同じなので、他者のチカラを借りるということも、継続のために考えていいのではないかと思います。

 


 


困難な問題にぶつかったとき、他者からの支援と自力解決とのバランス

思考力トレーナーの永江です。
考えるチカラを高めるためには、ちょっとした注意や心構えも必要です。

自力で解決できない問題にぶつかったときの違い

学習塾で指導をしていると、生徒さんが自力では解けない問題にぶつかっている様子を見ることがあります。ドリルやワークといった課題で、数学系や物理系理科などでよく見かけます。そういうときに、本人の性格が現れているのでしょうか、講師である私に頼ってくるタイミングに違いがあります。

分からないと感じたとたんにすぐにどうしたらいいか訊いてくる子。あるていどの時間を自力で考えることに充てたあとで、断念して質問をしてくる子。ひたすら自力での解決にこだわって、こちらから手を差し伸べようとしても拒否する子。さまざまです。

極端であることは避けて支援者を頼る

あまり早々にあきらめてしまうのも良くなくて、何かというと他者に頼ってしまうクセがついてしまう可能性があります。愛嬌があったりするとそれはそれで処世術として成立しそうですが、思考力を鍛えることにはつながりません。一方で、いろいろと自力で考えるものの結局は解決できない子の場合は、限られた時間の中での効率的な成長がしにくいといえます。

なにごとも極端であることには注意が必要であるように、この場合も、中間あたりにベストがあるように思います。もちろん、その子の能力や成長の度合いによってその中間点のベストも違ってきますが、とにかく、どちらかの極端を避けたいところです。あるていど考えても解決しないときは、講師=支援者を頼るのが良いです。

適度に考え続けることをヒントによって促す

自力で考えることをほどほどにして、塾であれば講師の私を頼ってもらうのが良いです。しかし、ここで講師=支援者である私のほうにも注意が必要となります。それは、答えや解法をそのまままるごと教えてしまっては思考力=考えるチカラを鍛えることにならないということです。相手の状況なども考慮しながらヒントを与えるていどにします。

ヒントを与えて、また考えてもらう。そのときもそれまでと同様に、あるていど考えても分からなければ次のヒントを出します。そうやって、生徒の様子をみながら、ていどの調整をしながら、常に考えつづけるように促します。

他者からの支援と自力解決とをバランスよく

これは塾での指導にかぎったことではなく、たとえば会社で教育係たる上司が部下に接するときにも考えられます。もちろん、学校で先生が生徒の指導にあたるときにも考えられます。育成ということを目指しているなら、考える機会は存在しつづけさせるのが良いでしょう。

しかし、ちょっと面倒なのが自力解決にこだわるタイプです。この場合はヒントをもらうことを拒否してきます。そういうときに、とにかくヒントを出すからという言い方ではどうどうめぐり。その問題を考えることを一旦停止させて、場合によってはヒントだけなら受け取るほうが自身のためにも、まわりの人のためにも良いのだということを諭すようにするのが良いと思います。

 

適度な自力解決志向と、適度な他者からの支援。
このバランスをとることが思考力アップのひとつのポイントです。

 


 


言葉のニュアンスが人によるからこそ、定義を意識して伝える【零細企業の人事】

人事系コンサルタントの永江です。
幅広く、お子様から職業人のみなさんまで、人材育成のためのお仕事をさせていただいています。

先日、ある企業の社長さんが「一生懸命に話しているつもりなのに、どうも自分の意識や考えが伝わっていないように思う。」とおっしゃっていました。私はその社長さんが会社でどういうことをおっしゃっているのか存じていないのすが、「ひょっとしたら」ということでひとつのアドバイスをさせていただきました。

同じ言葉でも受け取るニュアンスが人によって異なる

それは、同じ言葉を使ったとしても、その言葉に対して受け取るニュアンスが人によって異なる場合がある、ということです。

たとえば、「うちの会社、ピンチだね。」とAさんが言ったとします。Bさんはそれを聞いて、「会社が倒産の危機!どうにかしなきゃ!」と慌てふためくかもしれません。でも、実はAさんが言った「ピンチ」とは、今月の営業成績がライバル会社に負ける可能性が大きいということでした。だから、倒産するほどの危機ではないけれど、「ピンチ」という言葉を使ったということ。

同じ「ピンチ」という言葉を使っているのですが、どのていどの危機が訪れているのか、言葉から受け取る二人のニュアンスが異なるので理解や意識にズレが生じてしまっています。こういうふうに、言葉のニュアンスのズレが意識のズレになってしまうことは意外と多いように思います。

言葉で伝えるなら言葉を大切に

社長がスタッフになにかのメッセージを伝える方法はいろいろあります。実は就業規則などのルールによってもメッセージを伝えられます。でも、ふだん、一番に多いのはやっぱり言葉によるメッセージだと思います。会社の理念、会社をとりまく状況、従業員にどうあってほしいか、などなど、いろいろなメッセージを言葉で発します。

我々、人間は、メッセージを言葉で伝えるとき、同じ言語体系の人どうしならきちんと伝わると勘違いをしがちです。分かってもらえないときにもどかしくて「なぜ分かってくれないの!?」と思うのは、分かってもらえるものだと思いこんでいるからです。でも、それがなかなかそうはいかないから言葉を丁寧にあつかい、ニュアンスレベルで整えていく必要があります。

社長からのメッセージでは言葉の定義を共有する

業界によって、会社によって、文化がちがうので、そこも言葉のニュアンスがズレてしまう要因になります。他業界から転職した人が、ある言葉の意味が思っていたのと違ってとまどうという話はしばしば聞きます。個人レベルでは生活環境などのプライベートな要因も言葉に持つイメージに影響するでしょう。

だから、社長からのメッセージは、その言葉のニュアンスが聞いているスタッフと同じかどうか注意しましょう。できれば、当たり前のように使っている言葉こそ、その定義をしっかり明確にして、定義や意味を共有して、それからメッセージ中の言葉として使ってください。ちょっと面倒な作業になるかもしれませんが、勘違いしたまま進むより良いと思います。

 


 


人が足りないのか、仕事に無駄があるのか【零細企業の人事】

人事系コンサルタントの永江です。
北陸地方は人手不足が顕著で、有効求人倍率も全国平均を上回っているそうです。企業の人事担当さんのニーズとしても人材育成よりも、まず採用を優先するという傾向があるそうです。

人員不足を感じるとき

今いるスタッフで10の仕事をしているとして、そこにプラス2の仕事のオファーがあったら、1.2倍くらいなら残業でなんとかしようとするかもしれません。でも、プラス5、プラス7と増えていきそうに思えたら人員の補充、つまり採用を考えると思います。単純に、人数によってまかなえる仕事量に対して、受注の見込みが大きくなってきたら人員の補充を考えるでしょう。

あるいは、事業の拡大を想定したら、とうぜん今のスタッフでは不足するでしょうから、育成期間のことも考えてあらかじめ人員を増やしておくということも考えられます。この場合は、当面の人員不足というより、未来においては今のままでは不足するという予測からくる対応です。

本当に人が不足しているのか、仕事に無駄はないのか

人員の不足を感じたときに、人材の採用で対応しようとするのは自然なことです。でも、どんなに急いでも人員の充足には週単位、場合によっては月単位の期間が必要です。どうせそれくらいの時間がかかるのなら、その間に、仕事に無駄はないのかという検証をしてみることをお勧めします。

現場でいつも頑張っている自覚のある人は、仕事に無駄がないかと問われると「そんなことありません!」と強く反発するかもしれません。でも、仕事の無駄というのは、その仕事の近くにいる人の「感覚」では測りづらいものなのです。自分自身の感覚では一生懸命にやっているつもりだから無駄なんて考えられない。こういう考えは当然といえば当然です。

仕事の効率性は客観的に数値化する

生産性や効率性については、経営分析の中でいろいろな指標が登場します。そのいずれもが、客観的であり数値化された指標を活用するよう教えてくれます。一人あたりの付加価値の創造度合いや、チーム単位での生産能力など、単位やカテゴリ設定でいろいろ考えられます。

経営の中で人に対する部分は数値で表せない要素もありますが、こと仕事に無駄がないかどうかという部分は、逆にドライに客観的にし考えたほうが良いです。そうしないと、「がんばっているよ!」という非常に感覚的な一言にじゃまをされて正しい状況判断ができません。数値化をする。そのために客観的な方法をとる。

 

仕事の効率や生産性を明確にすることは、最終的には一人ひとりの従業員がゆとりを持って働くことにもつなげられます。別に効率の悪さをあげつらって糾弾するのが目的ではありません。新しい人を採用するとそれなりに現場にも負荷がかかるし、もしかしたら会社全体の人件費割当を考えると既存スタッフの給料にも悪い影響があるかもしれません。

採用を止めるのがいいとまではいえませんが、採用を考えるときに、同時に、仕事の無駄についてもちょっと考えてみてはいかがでしょうか。