言葉のニュアンスが人によるからこそ、定義を意識して伝える【零細企業の人事】

人事系コンサルタントの永江です。
幅広く、お子様から職業人のみなさんまで、人材育成のためのお仕事をさせていただいています。

先日、ある企業の社長さんが「一生懸命に話しているつもりなのに、どうも自分の意識や考えが伝わっていないように思う。」とおっしゃっていました。私はその社長さんが会社でどういうことをおっしゃっているのか存じていないのすが、「ひょっとしたら」ということでひとつのアドバイスをさせていただきました。

同じ言葉でも受け取るニュアンスが人によって異なる

それは、同じ言葉を使ったとしても、その言葉に対して受け取るニュアンスが人によって異なる場合がある、ということです。

たとえば、「うちの会社、ピンチだね。」とAさんが言ったとします。Bさんはそれを聞いて、「会社が倒産の危機!どうにかしなきゃ!」と慌てふためくかもしれません。でも、実はAさんが言った「ピンチ」とは、今月の営業成績がライバル会社に負ける可能性が大きいということでした。だから、倒産するほどの危機ではないけれど、「ピンチ」という言葉を使ったということ。

同じ「ピンチ」という言葉を使っているのですが、どのていどの危機が訪れているのか、言葉から受け取る二人のニュアンスが異なるので理解や意識にズレが生じてしまっています。こういうふうに、言葉のニュアンスのズレが意識のズレになってしまうことは意外と多いように思います。

言葉で伝えるなら言葉を大切に

社長がスタッフになにかのメッセージを伝える方法はいろいろあります。実は就業規則などのルールによってもメッセージを伝えられます。でも、ふだん、一番に多いのはやっぱり言葉によるメッセージだと思います。会社の理念、会社をとりまく状況、従業員にどうあってほしいか、などなど、いろいろなメッセージを言葉で発します。

我々、人間は、メッセージを言葉で伝えるとき、同じ言語体系の人どうしならきちんと伝わると勘違いをしがちです。分かってもらえないときにもどかしくて「なぜ分かってくれないの!?」と思うのは、分かってもらえるものだと思いこんでいるからです。でも、それがなかなかそうはいかないから言葉を丁寧にあつかい、ニュアンスレベルで整えていく必要があります。

社長からのメッセージでは言葉の定義を共有する

業界によって、会社によって、文化がちがうので、そこも言葉のニュアンスがズレてしまう要因になります。他業界から転職した人が、ある言葉の意味が思っていたのと違ってとまどうという話はしばしば聞きます。個人レベルでは生活環境などのプライベートな要因も言葉に持つイメージに影響するでしょう。

だから、社長からのメッセージは、その言葉のニュアンスが聞いているスタッフと同じかどうか注意しましょう。できれば、当たり前のように使っている言葉こそ、その定義をしっかり明確にして、定義や意味を共有して、それからメッセージ中の言葉として使ってください。ちょっと面倒な作業になるかもしれませんが、勘違いしたまま進むより良いと思います。

 


 


無駄を無駄だとスタッフは気づかないかもしれない【零細企業の人事】

人事系コンサルタントの永江です。
前回の投稿では、「人が足りない!」と感じたときに、もしかしたら仕事の無駄を削ったら人材不足が解消するかもしれない、というようなお話をさせていただきました。では、この、仕事の中にある無駄を従業員=スタッフは分かっているのでしょうか。

みんな一生懸命に働いている

不真面目で怠惰なスタッフが居る場合は実は話が簡単です。その人に指導をし、場合によっては改善が見られないときに辞めてもらうという選択ができます。でも、従業員の一人ひとりが真面目にやっている、あるいは少なくとも個々人の意識としては一生懸命であるときに、無駄があったとしても気づきにくいです。

仮に手待ちの時間帯があってその間の生産がないとします。その場合も、1日とか1週間という全体で真面目に働いているという思いがあれば、やっぱり「自分は一生懸命に真面目にやっている」と感じていると思います。このときの感じ方は、「一生懸命にやっているから無駄などあるはずがない」というものです。これは、無駄があるということがすなわち、自分が悪いことをしているという感覚になるからかもしれませんね。

無駄の把握は淡々と、人を悪者にせずに

「無駄」という言葉に対して、その対象となる人を悪く言うという感覚を持ってしまうのは仕方のないことだと思います。でも、無駄の把握はやっぱり必要です。だから、「あなたの仕事にこういう無駄がある」という指摘にならないように注意するのが良いです。

たとえば、「時間あたりの生産性を向上させたい」とか「手待ち時間に価値をつくりたい」とか、なにがしかポジティブな表現を考えます。具体的な言い方については、企業や現場によって変わるから、上記のものはあくまでも一例です。無駄の把握は淡々と客観的に行うべきであり、そこで人が悪者にならないような配慮をしてみましょう。

 

人は、なにか評価の類の言葉に対して感情をどうしても持ってしまいます。こっちが非感情的に、論理的に、客観的にと思っていても、相手がそうとは限りません。むしろ感情を排除するのはなかなかに難しいです。だから、そのことをアタマに置いておいて、どういう伝え方、表現の仕方がよいか考えることが大切なのではないでしょうか。

 


 


人が足りないのか、仕事に無駄があるのか【零細企業の人事】

人事系コンサルタントの永江です。
北陸地方は人手不足が顕著で、有効求人倍率も全国平均を上回っているそうです。企業の人事担当さんのニーズとしても人材育成よりも、まず採用を優先するという傾向があるそうです。

人員不足を感じるとき

今いるスタッフで10の仕事をしているとして、そこにプラス2の仕事のオファーがあったら、1.2倍くらいなら残業でなんとかしようとするかもしれません。でも、プラス5、プラス7と増えていきそうに思えたら人員の補充、つまり採用を考えると思います。単純に、人数によってまかなえる仕事量に対して、受注の見込みが大きくなってきたら人員の補充を考えるでしょう。

あるいは、事業の拡大を想定したら、とうぜん今のスタッフでは不足するでしょうから、育成期間のことも考えてあらかじめ人員を増やしておくということも考えられます。この場合は、当面の人員不足というより、未来においては今のままでは不足するという予測からくる対応です。

本当に人が不足しているのか、仕事に無駄はないのか

人員の不足を感じたときに、人材の採用で対応しようとするのは自然なことです。でも、どんなに急いでも人員の充足には週単位、場合によっては月単位の期間が必要です。どうせそれくらいの時間がかかるのなら、その間に、仕事に無駄はないのかという検証をしてみることをお勧めします。

現場でいつも頑張っている自覚のある人は、仕事に無駄がないかと問われると「そんなことありません!」と強く反発するかもしれません。でも、仕事の無駄というのは、その仕事の近くにいる人の「感覚」では測りづらいものなのです。自分自身の感覚では一生懸命にやっているつもりだから無駄なんて考えられない。こういう考えは当然といえば当然です。

仕事の効率性は客観的に数値化する

生産性や効率性については、経営分析の中でいろいろな指標が登場します。そのいずれもが、客観的であり数値化された指標を活用するよう教えてくれます。一人あたりの付加価値の創造度合いや、チーム単位での生産能力など、単位やカテゴリ設定でいろいろ考えられます。

経営の中で人に対する部分は数値で表せない要素もありますが、こと仕事に無駄がないかどうかという部分は、逆にドライに客観的にし考えたほうが良いです。そうしないと、「がんばっているよ!」という非常に感覚的な一言にじゃまをされて正しい状況判断ができません。数値化をする。そのために客観的な方法をとる。

 

仕事の効率や生産性を明確にすることは、最終的には一人ひとりの従業員がゆとりを持って働くことにもつなげられます。別に効率の悪さをあげつらって糾弾するのが目的ではありません。新しい人を採用するとそれなりに現場にも負荷がかかるし、もしかしたら会社全体の人件費割当を考えると既存スタッフの給料にも悪い影響があるかもしれません。

採用を止めるのがいいとまではいえませんが、採用を考えるときに、同時に、仕事の無駄についてもちょっと考えてみてはいかがでしょうか。

「適材適所」にこだわりすぎない【零細企業の人事】

人事系コンサルタントの永江です。
「適材適所」というと基本的にはそれは良いことで、そうするのが良いとされています。けれども、なにごともこだわりすぎると良くないもので、「適材適所」ということもこだわりすぎは良くありません。

部門の設定はあるていど以上の規模むけ

小さな会社であっても役割分担があり、それは、たとえば事務系の仕事であったり販売の仕事であったり、企画、製造、などなど、さまざまです。ただ、会社の中にある役割としての部門、特にその名称をイメージするときに、もともとのそれは大企業むけの設定であり、大企業とは言わないまでもあるていど以上の規模をもった会社に向いているものだと思います。

社長が技術屋さんである零細企業の場合に、営業を担当してくれる人を雇い入れるとします。この人には「営業部長」などという肩書を与えて営業をすべて任せたりするのですが、人数が少ないから営業だけをやっていればいいというわけにはいきません。社長と一緒に企画や製造に関わってもらうかもしれないですし、年度末には事務系の仕事を手伝ってもらうかもしれません。会社の中に必要な機能が部門の設定になっているはずなのですが、必要な機能ごとに部門を設定できるのは全体の規模があってのことなのです。

少人数における適材適所

チームのメンバー数が少ないとき、適材適所といっても限界があります。そのチームの中では比較的に向いているということがあっても、社会全体でみたらそれほど高い能力ではないこともあります。「うちではいちばん数字に強い」という人に経理をやってもらったらミスばかりで、税理士さんに叱られたという話も聞いたことがあります。この場合は、おそらく経理業務を外注したほうが良かったと思います。

また、企業をとりまく環境は常に流動的であり、会社が組織として発揮すべき機能はそのときどきでボリュームが変化します。たとえば販売にグッとチカラを入れたいときには、メンバー全員でそれに当たるのが良いかもしれません。そうすると、事務員として雇用した人にもなんらかの販売的な行動をお願いすることになって「私は事務ですから。」などとは言わせていられないかもしれません。

少人数のチームや組織だと、適材適所といっても社内でそれが賄えないことも多いです。だから、経理業務の例のように外注することを選択肢とするのと同時に、そもそも理想的な適材適所なんて組織内でできないことが多いという前提を覚悟しておくのも必要ではないかと考えます。

役割の自覚を限定化させない

そのときどきでやってもらう仕事や業務に変化がありえるので、部下に対しては、「あなたの仕事はこれね」と限定的には伝えないほうが良いです。「あなたは営業担当ね」と伝えた部下に、業務の関係上でどうしても急ぎの製造を手伝ってもらったら、「私は営業なんだけどな……」と心のどこかに不満を持ってしまう可能性があります。役割の自覚が「営業」という限定されたものになっているからです。仮に労働時間全体に変化がないとしても、「余計な仕事をやらされた」と感じるからです。時間の負荷は変わらないとしても、脳内の意識としてはボリュームが増えています。

だから、零細企業においてスタッフや従業員に持ってもらう「役割の自覚」は、たとえば「新旧顧客のバランスをとりつつ、我が社のサービスで喜んでくれる人を増やす」というように抽象的にするのが良いかもしれません。そのうえで、「いま何をしたらいいか」については社長の方針を明確に示して、常に考えながらやっていくよう促すと良いです。

 

適材適所そのものは悪いことではありません。けれども、部門の考えが一定以上の規模をもった組織むけであり、小さな組織では適材適所そのものが難しい場合もあります。無駄にマイナスな感情を従業員が持ってしまうケースも考えられるので、あまりこだわりすぎないようにしましょう。

 

「辞める」という人には辞めてもらう【零細企業の人事】

人事系コンサルタントの永江です。
今日は、退職することを交渉材料のように言う人には辞めてもらうのがよいというお話です。

「◎◎だったら辞める」

私が過去の会社員時代にも居ましたし、独立してからもたまに聞きます。「これを認めてもらえないなら辞めます」とか「そんなことしなくてはいけないなら辞めます」と言う従業員のお話です。そして、実際には辞めないんですよね。こういうことを言う人にかぎって辞めないその会社に居続ける人が多いように思います。

(完全な余談ですが、私は「定年までこの会社で働きます」と言っていたのに会社を辞めて独立しました。)

会社を辞めない理由はさまざまですが、実はまったく辞める気がないのに、自分の主張を通すための交渉材料として自分の退職を使っているように思います。明確にその意識がないとしても言葉の使い方としてそうなっていますよね。また、上司が引き止めるケースもあります。会社にとって有用な能力を発揮している人であれば引き止める気持ちもわかります。本人も自分が評価されている自覚があるから、退職を交渉材料とするような物言いをするのでしょう。

代わりはいくらでもいる

特に小さな組織で人材確保が容易でない場合に、せっかくいるスタッフに辞められるのは困るから引き止めたくなるのもわかります。でも、「この人に辞められたら困る」というのはたぶん杞憂です。ほとんどの場合で、そんなことはありません。多くの会社で働いている人たちは、失礼な言い方になるかもしれませんが、普通で平凡な人です。「いや、そんなことはない。彼は他にはない素晴らしい能力を持っているのだ。」ということもあるかもしれません。でも、それもたいがいは評価が高すぎるのであって、代わりになる人はいくらでもいます。

あるいは、代わりになる人を見つけてきたり、社内で育成するのが困難であっても、組織として、なんらかの仕組みや仕事の工夫で対処できないのでしょうか。日本で数人しかできないというレベルの仕事であっても、会社の事業の工夫でその仕事がなくても事業が成立するようにできたり、なんなら外注できたりするかもしれません。なんだかんだいって、私も含めてとくに有名人というわけではない人の仕事というのは、その人が居なくてもなんとかなるものなのです。

「やめるやめる病」は続く

自分が退職することを交渉材料のように言う人は、同じことを何度も繰り返します。そしてそのたびに、上司からなんらかの譲歩を引出したりすることもあります。そうなったらもう、完全に交渉材料そのものですよね。「辞められたら困るから、彼の言い分を通しておこう」なんて組織の運営としては最低です。事業経営における判斷は事業経営そのものを軸に考えるべきで、人が辞めるかどうかを、直接的には関係ない事象の判斷材料にしてはいけません。

子供の頃にも居ませんでしたでしょうか。友達どうしで遊んでいて、次に何の遊びをしようかとなったとき、自分が希望するものが採用されない空気になったら「◎◎をやらないなら、もう私、帰るから!」とか言いだす子。こういう子が周りから好かれるかどうかといえば明白ですよね。そして、こういう子は、そのうちに気づいて同様のことを言わなくなることもありましたが、大人になってからのこれはタチが悪いです。なかなか治りません。

 

だから、「私、やめます」ということを言う人が居たら、もう、最初の一回目で受理するべきです。「わかった。では、退職届を書いてくれ」これで終わりです。もしも、「いや、あれは勢いで言っただけです。やっぱり続けさせてください。」なんて言ってきても本当なら絶対に許したらダメなんです。私なら一切みとめません。仮に「一度くらいなら」と許すとしても、自分の進退を条件に持ち出すのはもってのほかということで、良くて厳重注意に始末書付きです。本当に、仕事ができるからといってこういう人に残ってもらっても、もやもやする問題がずっと続きますからね。