何かを得ようとするなら、何かについての覚悟が必要になる

思考力トレーナーの永江です。
今日のお話は、「覚悟も持たずに◯◯するな」というテーマでお送りします。
ただし、ほんのひとにぎりの「天才」のある人は該当しないかもしれません。

覚悟という言葉の定義

まず「覚悟」という言葉の定義を確認しておきます。言葉の定義、というか、言葉から感じるニュアンスは人によって異なり、そこにズレがあると話の内容もズレた受け取られ方をしますので。

この記事でいう「覚悟」とは、「もしかしたら不利益または不快であると予想される事柄を、あらかじめ知っておいて、受け入れること」とします。ジュースを買ったらお金が減るけど、今はジュースを飲みたいから、お金が減ることをあらかじめ分かったうえで受け入れる。これは、お金が減るということに対しての覚悟を持っているということです。

ちゃんと努力をする覚悟

ネットの記事で見かけたので真偽は未確認ですが、卓球の水谷選手がおっしゃっていたそうです。「どうしたら卓球がうまくなりますか」という質問をされるのがイヤだと。おそらく、この質問をされるのがイヤになる経緯があったのでしょうね。何度も何度も訊かれたんだと思います。そして、その質問の裏にある真意が「簡単に卓球が上手になるコツを教えてよ」ということにあると気づいたんでしょうね。そして、そんな近道なんて無いということをご自身が知っていらっしゃるので、その質問がイヤになっていったんだと推察します。

私はパソコンのキーボードでのタイピングが人より速いです。もちろん私よりさらに速い人もたくさん居ますが、平均よりは随分と速いという自信があります。だからたまに訊かれるんですね。「どうやったら速くタイピングができるようになりますか?」と。いちおうコツ(?)として指使いを自己流にせずセオリーどおりにやるというのがありますが、それより大切なのは、セオリーを守ったうえですごくたくさん練習することです。簡単にできるようになるコツなんてなくて、とにかくたくさん練習するしかありません。それがイヤなら、タイピングが速くなることは諦めるしかありません。

何かについて上手になるには、そのための努力をたくさんする覚悟が必要です。考え方はシンプルであっても、その道は決してイージーではありません。ちゃんとしっかりと努力する覚悟がないなら、それほど上手にはなれないということを知っておきましょう。

なにかを捨てる覚悟

我々のような凡人=普通の人は、いろいろな制約の中で行きています。時間は有限だし、能力面で出来ることは限られているし、なんでも自由にできるわけではありません。あ、お金も限りありますよね。そうすると、今の生活を変えて新しい何かを得ようと思ったら、捨てる覚悟が必要になります。

たとえば、フルタイムで働くサラリーマン。さらに残業もして忙しいです。でも、その分だけ給料は良いとします。自由に使える時間がほしい。もっと休息をしっかりとりたい。そうするためには、働く時間を減らすことが必要で、残業代が減るとか、転職をして給料が下がるとか、覚悟をしないといけないかもしれません。逆に年収アップの転職をしようと、資格やその他の勉強をするのもいいですが、そのためには一時的にさらに寝る時間を削ってでも勉強するという覚悟が必要だったりもします。ゆっくりした将来の時間を得るために一時的であっても何かを捨てる覚悟ですね。収入を捨てるか、一時的な時間を捨てるか。

たとえば、専業主婦の人。あるときふと参加したセミナーに参加して、素敵な講師の先生にあこがれを持った。私も同じようになりたい!でも、その先生に相談したら、SNSで顔出しをしたほうがいいと言われた。私はネットに顔出しなんてしたくない。今までの平穏な生活を維持したまま、先生のようにあこがれられる存在になりたい……。
ネットにおける顔出し効果の大小は置いておいて、人前に出る仕事がしたいのに、顔が広まるのはイヤだとか、おそらく両立しませんよね。片方を諦めるしかありません。

プロが持つべき責任と覚悟

趣味でやっている卓球やパソコンならば、覚悟がなくて、それで諦めるのもいいと思います。でも、プロとしてお金をもらう以上は諦めたらいけないことがあるはずです。それは、仕事によって違ってくるけど、少なくとも労働集約型のお仕事をしているのであれば、自分の時間を差し出す覚悟は必要ですよね。サラリーマンならなおさらです。たとえば私たちのような仕事であれば対人的な覚悟がいろいろと必要です。100%ではないとしても、相手の都合にあるていどは合わせる覚悟。お伝えすることに関して勉強や学習をする覚悟。場にふさわしい服装を整える覚悟。マルエーで買い物をしているときに「◯◯先生!」と声をかけられる覚悟、とか。

お金をいただいてやる以上は、そこに責任がともないます。少なくともいただくお金と等価の価値を相手に提供する義務が発生します。そのことを受け入れるというのもある意味ではひとつの覚悟といえるでしょう。「わたし、そこまで出来ないわ」というのであれば、お金をいただくのをやめて、プロの舞台には上がらないようにすべきです。

物事には陰陽のバランスがあるのです

タイピングが速くなるために私と同じだけの努力が必要とはかぎりません。顔出しをしなくても人気講師になれる方法もおそらくはあるでしょう。でも、今とちがう自分になるとか、今は持っていない何かを持つようようなるとか、何がしかの変化を求めるのであれば、その分、別のところで何かの変化を生みます。物事には陰と陽があって、それは必ずしも悪いことと良いこととの対比ではないかもしれないけれども、他をまったく変えずに、欲しいところだけ変えるというのは普通は無理なんだと思います。だから、何かがどうかなる覚悟は、それがなければ諦めるしかないということはあるのだろうなと思います。

あっちを立てると、こっちが立たない。もどかしいけど、世の中は、何かのプラスと、別の何かのマイナスで成り立っているのです。

 


 



細かな部分のことを考えながら、全体も見る

思考力トレーナーの永江です。
あることについて考えているとき、集中していると、逆にそのことだけしか見えなくなっていないでしょうか。

たとえば自動車を運転しているときに……

たとえば自動車の運転をしていて、少しさきに横断歩道があるとします。とうぜん、横断歩道を誰かが渡ろうとしないかと注意します。でも、横断歩道に注意をしながらも、それ以外の場所にも気を配らなくてはいけません。何かの物陰、交差点、路地がないか、道路標識など視界に入るものすべて、さらにいえば、視界に入っていないものにも「かもしれない運転」で注意するのが理想です。

自動車を運転するときに、想定される危険はさまざまなところにあります。また、窓の外だけでなく、車内にあるメーター類にも目を向けなくてはいけません。つまり、何かひとつのことに集中してしまうのは危険だということです。「運転に集中しよう」という言い方をしたりもしますが、「運転する」ということを全体的にみてみたら、何かに集中するのは良くないです。

アリさんの目、トリさんの目

思考の視点をどう持つかということで、アリさんの目、トリさんの目、というような話をよく聞きます。私も社員研修などを担当させていただくときに話すことがあります。アリさんの目は対象のすぐ近くにあって、細かく詳細に対象のことを捉えます。一方のトリさんの目は遠くから全体を俯瞰して眺めます。アリさんは物事の一部しか見えないけれど細かいことまで分かり、トリさんは細かいことは分からなくても全体の中でその一部がどうであるのかを分かります。

視点のこの話はどちらが良いとかいうことではありません。いずれの持っていて、適宜に使い分けるのが良いということです。考えるべき対象の詳細を知ることも必要だし、全体の中でそれがどうあるのかということも考えなくてはいけないのです。アリさんの目で見る、次の瞬間にトリさんの目に切り替える。行ったり来たりしながら考えられるようにしましょう。

リアルに描かれたウサギの絵

私が高校生くらいのときに、ある新聞の記事があり、その切り抜きを長く財布に入れていました。その記事は、あるリアルなウサギの絵を紹介するものです。とにかくリアルに描かれたウサギは、毛の一本一本に至るまで細かく描写されています。もちろん毛のほかにも、ウサギのまわりの地面などもたいへんリアルに細かく描いてあります。でも、その絵がウサギの絵として成立するには、細かい描写だけではダメで、全体としてしっかりと躍動感あるウサギになっているわけです。細かい部分についてしっかり丁寧に描かれていることと、全体としてバッチリとウサギであるということ、その両方があってリアルなウサギの絵が成立している。「両立が重要」ということを主張した記事であったと記憶しています。

 

細かい部分について考えることも大切です。でも、同時に全体のことも大切です。局所を見ていると、それが素晴らしくうまくいっていると思っても、全体の中では何かバランスが悪いこともあります。私たちがなにか事にあたるとき、細かな部分のことを考えながら、全体も見るという視点を持っているようにしましょうね。

 


 



考える余地や 工夫の余白

思考力トレーナーの永江です。
子どもが発明したというものをテレビ番組で紹介していました。いくつか紹介されていましたが、どれもすごく考えられていて素晴らしい。

今あるものをもっと良くしたいという思いがきっかけ

ある発明では、もともと世の中に存在していて、広くみんなのまわりにあるもを改良してよりよいものに変えていました。まず、今あるものに着目し、みんなが「そういうものだよね」と思っていることに対して「もっと良く」と考える思考が素晴らしいと思います。そして、「もっと良く」と考えたときに、どうしたら良くなるのかを徹底的に研究したようです。時間をかけて、あきらめずに、いろいろな工夫や、他からヒントを得たアイデアを組み合わせて、とても素晴らしい発明品を作っていました。

常に工夫を考えて、ちょっとした発明をいくつも

また別の発明をした子は、これまでにいくつもの発明をしてきたということでした。その発明はどれもちょっとしたもので、生活の中で本当にちょっとした便利さを生むものです。おそらく多くの人にとっては必要なくて、それがなくてもなんとかなるものです。でも、自分の暮らしの中で常に工夫を考えて、自分の身の回りがちょっと良くなるというものです。ここでは、常に工夫を考えているという思考の継続性に感心させられました。

「こんなものだよね」と諦めないことの大切さ

大人になってくるといろいろなものを見聞きしてきます。だから、「これは、こんなものだよね」という諦めの思いを持つことはたくさんあります。でも、この番組を観ていて思ったのは、何からの考える余地や工夫の余白は無くならないということです。もちろん、その工夫をしている間に次のことをしてしまったほうが良い場合もあります。スピードも人生の中では考慮すべき要素ですから。でも、ただ単に「こんなものだよね」と諦めるのではなく、考える余地や工夫の余白はきっとあるという意識は持っていると良さそうに感じています。

 


 



「波に乗る」ということ

思考力トレーナーの永江です。
思考力がどうこうとか、自分で考えられるようにとか、偉そうなことを言っていますが、「カン」に頼ったほうがいいこともあったりします。

たとえば「モテ期」というものについて

世の中には「モテ期」という言葉があります。人生のなかで何回かあるそうで、理由がわからないけど、たまたま異性にモテる時期です。思い返せば私にも何回かあって、わけがわからないけど女性からアプローチを同時期に複数から受けました。こういうときにどうするか。なぜモテているのか考えてもわからない。どう対応をするのがいいか考えても考える材料が思い当たらない。けっきょく、「カン」にたよって反応します。

世の中で「モテ期」という言葉が使われるときも同様に、なんだかわからないけどモテている、という文脈で使われているようです。つまり、理由が明確にはわからないということです。だから対応についても論理的に考えることができずに、「えいや!」とカンで動くことになります。なんとなくアプローチを受ける。勢いに任せてつきあうことにする。良くも悪くも論理的ではない対応をします。

突然に訪れる人生の転機

これも私自身のことですが、人生の転機といえる岐路が何回かありました。そのたびにどうするかの判断をしています。でも、自分のまわりにある環境がどうしてそうなっているのか分からないんです。さっぱりわかりません。だから、モテ期のときと同様に「カン」にまかせて人生の選択をしてきました。

もちろん、大切な大切な自分の人生のことですから、時間をかけて考えはします。でも、論理的考えるには材料が不十分です。だから、とても大切なことであっても「えいや!」と腹をくくって「カン」を頼って判断するわけです。それが良い判断だったのか悪い判断だったのかはわかりません。「きっと良い判断だったのだ」と思うことくらいしか後からは出来ません。とりあえず今のところはひどく悪い判断はなかったように思います。

自分では作れない波に乗る

「波に乗る」というときの「波」は、自分ではどうしようもない周辺状況の変化の中で、自分にとって良いものだと言えます。でも、状況が怒ったときに、それが良いものか悪いものかを論理的には判断できないこともあります。そのときは「えいや!」とカンだよりで判断するしかありません。

とはいえ、一生かかってもその「波」を読める(=良いか悪いか判断できる)ようにならないかというと、けっこう経験値で出来るようになるように思っています。「カン」が鋭くなるという言い方もできるかもしれません。論理的に冷静に判断できなくて、カンに頼っていくしかないこともありますが、いざというそのときのために、そのカンを磨いておくように意識をしておくことは大切なのかもしれません。波は自分で作ることができないけれども、良い波ならばぜひ乗っておきたいですからね。

 


 



脳は変わらないようにしたがる

思考力トレーナーの永江です。
何かを変えようとチャレンジをする人は多いです。
でも、それが長続きしないことも多い。

脳は保守的

人間の脳というは、とにかく保守的なんだそうです。今の状態を変えないように、変えないようにと考える。だから、よっぽどのピンチだと感じないと変わらない。ちょっと太っているといってもすぐに死ぬほどではない。勉強をしなきゃいけないのは分かっているけど、明日からでも大差ない。いろいろな言い訳はすぐに思いつきます。それは、脳が保守的であって、変わらない理由を作るのがうまいからです。

保守脳を利用して変化を生み出す

だから、何かにチャレンジをしようとか、自分のどこかを変化させようとするときには、すごく頑張るか工夫をするか、ということを考えます。すごく頑張るというのはまさに文字どおり頑張るということです。勇気を奮い起こす、とにかく自分にムチをうってやらせる、嫌でもなんでもとにかくやる。そんな感じです。

工夫をするというのは、たとえば、変わった後の状態をいつものことであると脳に思い込ませたりすることが考えられます。いわゆる思い込みによって、それが普段の自分だと勘違いさせて、結果的に変化を起こすわけです。「おれは出来る。当たり前のように出来る。」などと繰り返して自己暗示をかけるのもそうかもしれません。このあたりのことはおそらく心理学的にノウハウがあるのだと思いますが、私の場合は、とにかく自分に言い聞かせることが多いです。お試しあれ。

 


 



受益者の欲求とスポンサーの要望(講座やセミナー、学習塾にて)

思考力トレーナーの永江です。
私の仕事の中には、
サービスの提供を受けて価値を受け取る人と、お金を出すスポンサーがそれぞれ別であることがあります。

受益者とスポンサーが異なるケース

分かりやすいのは、学習塾での指導と社員研修です。学習塾で価値を受け取るのは生徒さんで、スポンサーは親御さんです。社員研修の場合はまれに参加者が自己負担する場合がありますが、基本的に講座に参加する社員さんが価値を受け取るけども、お金を出しているスポンサーは会社という法人です。このように、価値を受け取る受益者と、お金を出すスポンサーが別であると、それぞれの思惑にズレがあるのも珍しくありません。

塾の生徒が望むもの、親御さんが望むもの

中学生くらいになると塾に求めるものが親御さんと本人でズレることが減ってきます。でも、小学生の、特に低学年だとハッキリしていることが多いです。親御さんは学力とか学校の成績とか、そういう部分を求めます。当然といえば当然で、学習塾の社会的存在意義はおおむねそこにあると思います。でも、こどもはほとんどが勉強を好きではなくて、できれば避けたいと思っています。だから、こどもの欲求としては、親に納得してもらえる範囲で、あるいは親の目を盗んで、楽しく過ごしたい、勉強しなくてすむ過ごし方を求める、ということだったりします。

社員が望むものと、会社が求めるもの

塾の生徒と親御さんの考えや意識がちがうのは微笑ましくて、こちらとしては、なんとか楽しい雰囲気を感じてもらいながら勉強をするように誘導すれがいいのです。でも、意外とやっかいなのは社員研修。社員の望むものはいろいろで、会社側の要望とのズレは千差万別です。ズレの軸や方向性もバラバラだったりするとので、臨機応変にというのも大変です。単にサボりたいというものもあれば、非常に高い欲求をもっているものの会社の方針とズレているというもの、いろいろです。

 

基本的には、私は両立することを目指します。生徒も満足させつつ、親御さんにもご満足をしていただく。社員研修に参加したみんなが満足しつつ、実際に会社の利益に貢献できる人材を育成する。両立することは難しいこともあるけれども無理というわけではない。そう考えてこのお仕事をやっています。

 


 



ブログを書くのに要する時間

思考力トレーナーの永江です。
実は、このブログを書くときに、「一気に書き上げる」という課題を自分に与えています。
だから、このブログ記事を一本作成するのに要する時間は、平均すると10分くらいです。長くても15分くらいじゃないかと思います。

もちろん推敲したほうが良い文章になる

もちろん、あたりまえですが、ちゃんと推敲をしたほうが良い文章になると思います。たまに見返して修正することもありますから。おそらく、一気に書き上げている文章は、読みにくかったり、言葉遣いにおかしなところがあったり、なにかの間違いがあったりしていると思います。ほとんどすべてに近い人は、文章はちゃんと推敲したほうがあとで読む人にとっても良いものになります。

スピードを課題にするわけ

ちゃんと推敲したほうが良い文章になるはずなのに、なぜ、一気に書き上げることを課題にしているのか。それは、話し言葉としての分かりやすい伝達の練習とするためです。話し言葉はいちど口から出ていったらもう修正できません。あらかじめ原稿を用紙することもできますが、それでも、しゃべったあとから修正はできません。こちらのブログで一気に書くことを課題にしているのは、そういう話し言葉を意識して文章を書いているからです。これが本当にうまくできるようになったら、話し言葉でもあとで修正の必要なく大丈夫な良いものが作れるのではないか。そんなことを考えて、一気に書き上げて、見返すことなくアップをしています。一種の「頭の体操」かもしれませんね。

 


 



セミナーの記録「良い先生だなぁ、と思える講師のみなさんを分析してみたら」

思考力トレーナーの永江です。
2011年に独立してフリーランスになってから、おかげさまで講師として一定の評価をいただくようになりました。
8周年をむかえて9年目に入ったのですが、私も最初から講師としてお褒めいただけるようなものだったわけではありません。

講師としての学び

さすがに生まれつきなんでも出来るというわけはなく、講師の仕事を始めたころはうまくいかないこともありました。「なんとなく分かったような気がするけど、自分には難しかった。」と言われたときは、自分の力のなさに残念な思いもしました。でも、それでめげてばかりではいけないから、他の先生方の講座やセミナーに参加するなどしてたくさん学んだことがあります。

やっぱり世の中には見上げるべき存在というのがあって、私にとっての幸せは、そういう何人かの先生方にお会いできたことです。自分が生徒・参加者としてセミナーで勉強をして、「この先生のいいところを盗んでやろう」と気合を入れて勉強。その先生の本を買ったり、動画コンテンツを見まくったりもしました。講師をやるということもひとつの仕事だし、能力だし、技術だし、テクニックを必要とする活動です。だから、良い先生の良いところをたくさん勉強させてもらいました。

講師のスキルと心構え

講師というと、何か専門の得意分野があって、それを教えてくれる人、という定義になるのではないかと思います。だから、基本にあるのはやっぱり専門的な得意分野の知識やノウハウ。でも、実際に自分がやってみて強く思うのは、専門分野のことだけではなく、講師として必要なスキルや心構えがあるということです。

講師として必要な知識というのは、お伝えをしたい専門分野の知識やノウハウを分かりやすく伝えて、しっかり理解してもらうための技術です。ただ話せばいいというわけではありません。話が下手くそな人が世の中に居るように、説明が分かりにくくて困ったちゃんな講師も実際に居ます。そして、心構えとは、その場が何のためにあって、どんな人がどんな目的に集まっているのかをちゃんと考えて、そのうえでやるべきことをやろうとする気概です。これを持たない先生も残念ながらいらっしゃいます。今回はこれらをお伝えしました。

 

その内容については、そのうちにこのブログでも記事にするかもしれません。すでに記事なっていることもあります。また、できれば電子書籍にまとめて配布もしたいと思っています。もちろん、セミナー等でお伝えする機会がまたあるかもしれません。私と同業となる人たちのお役に立てる内容です。

 

北陸ガールズスクエア
北陸女子会さんが運営しているコミュニティスペースです。「まなび」と「であい」がコンセプト。

 


 



自分のことは他人に訊く

思考力トレーナーの永江です。
キャリアコンサルタントとしてのお仕事の中で感じること。

自己理解や自己分析

進路やキャリアについての相談を受けると、自然と自己理解や自己分析の話になることが多いです。過去や現在についての自分を振り返ってもらって、そこから未来のプランを考えたりします。また、私自身も一人の事業者として自己分析をするし、その結果をもとに事業の計画を立てたりもします。これは、いちどやったらそれでいいものではなく、折に触れて、あるいは意識的に機会をもうけてやるとよいです。人は常に変化をしますから。

自己理解や自己分析というのは言葉のとおり、自分のことを知って分かっておこうとするものです。働くということに関連するものなら、経験や能力、実績などの棚卸しをします。そして、自分の性格や価値観、好みの傾向なども分析をして、どういう仕事の選択をすれば幸せな人生になるかと考えたりします。漫然と人生の選択をするよりも、やはりあるていどしっかりと考えておくのが良いと思います。

「自己」によることの限界

自己理解も自己分析も、とうぜんですが自分で自分に対して行います。でも、自分のことは自分が一番に分かっているかというとそうではありません。意外と分かっていないのが自分というものであり、そこにはどうしても限界があります。ときどき「自分のことなんだから、自分でよく分かっていますよ」という人がいらっしゃいますが、比較して一番かもしれませんが、それで十分に正確であるということもなさそうです。

また、考えてみたら分かることですが、職業として発揮すべき自分というのは主観で見えている自分ではありません。あなたが職業の中で活躍させるべきあなたは、他人から見たあなたです。あなたを評価し、あなたの活動に感謝をし、あなたの能力や人柄に惹かれて報酬を用意してくれるのは他人です。他人から見られたあなたでしか仕事は成立しません。そういう意味でも、やはり「自己」による理解や分析の限界も知っておくのが良さそうです。

インタビューを受けて得た気づき

先日に、とあるインタビューを受けました。ある媒体に掲載をしていただくためのものですが、ライターさんが私にインタビューをして、私を紹介してくださる記事を書いてくださいます。その中で「つまり、永江さんは◯◯なんですね。」と言われてハッとしました。たしかに、言われてみればそうだ。でも、自分で意識することはあまりなかった。しかし、他人から見える私はそうなんだな、と。

個人事業主としての私は自分で自分を評価することが多いです。一方でクライアントさんなどから評価をされているはずですが、客観的に言えることを明確に伝えてくれているとは限りません。むしろ遠慮をされて、感じていることでも言ってもらえていない可能性もあります。実際に、インタビューによって客観的な自分の一部を知ることができました。こうやって他人に自分を掘り下げてもらうのは非常に価値のあることだとあらためて感じた出来事でした。

コンサルティングを受けるということも、今回の私がインタビューを受けたことに似た価値があります。自分では気づかない自分のことに気づかせてもらえるチャンスとなります。自分のことは自分が分かっているとは断定せずに、自分が気づいていない自分に気づくために、他人に訊いてみることをお勧めします。

 


 



お金を払って得られるもの

思考力トレーナーの永江です。
今日のお話は、ふと考えてみたこと。
お金を使うことで……。

生きていくためにお金が必要

おそらく日本で生きているほとんどの人が、生きるためにどうしても必要なものをお金によって得ています。食べ物、飲み物、生活の拠点(家など)、水道光熱費などにあたるものなどにお金が必要です。その他にも、私の場合は通信費がないと仕事にならないし、自動車に関係するものも無ければ仕事に出かけられません。

どのようなものが生きるために必要なのかは人によって異なる部分もあります。でも、なんらか、絶対に必要なものをお金によって得なければいけないという点はすべての人に共通すると思います。お金を払って得られるもののひとつ、まず、生きていくために必要なものが挙げられます。

より充実した居心地

今日、この記事を書くきっかけになったのがこの部分です。ある打ち合わせの予定を、いつもの場所ではなく、レンタルスペースで実施することを思いつきました。ちょっとそれが必要な事情があってのことなのですが、とにかく場所を変えるアイデアです。そして、その場所の候補にいくつか考えたのは「居心地が良さそうな素敵空間」ばかり。どうせ変化があるなら、良い方向での変化を求めてのことでした。

変化した先の場所だともろもろの収支を考えるとちょっとだけ出費が増えます。でも、そのちょっとだけ増える出費によって、いつもより素敵な空間での打ち合わせができるんです。打ち合わせそのものにはその空間の素敵さは必要ないのですが、過ごす時間がなんとなく充実したものになりそうな空間でした。得られるものは単にいつもより少し良い居心地だけ。それでも、お金を払って得るものとしては良いものなんじゃないかと感じました。

増えて返ってくる投資としての支払い

ビジネスをやっている人なら誰でも考えることですが、どうせお金を使うならば、投資となって後で増えて返ってくるのがよいです。上述したものはそれの期待があまりないですが、明らかに期待して出費するものは確かにあります。

投資家が行うまさに投資はそうだと思いますし、一般の人でも、投資だと考えて支出をするケースが少なくないと思います。たとえば、社会人の方が資格などのためにする勉強にかかる費用。これなんかは、その後に可能性がある仕事と、それにともなう収入が期待されています。継続的なその収入が期待できるのであれば、資格取得のためにかかる費用(学校や講座、受験料など)は安いものだと考えられるわけです。

お金を払って得られるもの

お金を払って得られるものはいろいろあります。いろいろあるのですが、目の前にある物品やサービスだけではないというのが重要です。そこに付随して得られる感覚や、有効な投資として増えて返ってくる資産。そういう目に見えないものに意識を向けてみるのも良いのではないかと思います。