フレームワーク的な図示みたいに目で見えるものが思考を助けてくれる

思考力トレーナーの永江です。
われわれ人間は、特に現代人は、日本の現代社会に生きるものは、職業人は、職業人じゃなくても生きていくためには、とにかく考えるということから逃げるわけにはいきません。毎日、毎日、考えることの連続です。だから、考えることが上手になったほうが幸せな人生を送りやすいと思っています。

ただ考えるだけというのは難しい

考えるということを純粋に独立させて、それのみを行うとします。つまり、体を動かさずに、目を閉じて、閉じなくてもいいですが、ただ脳みそのみを活動させて考えます。それで考え事が捗るということはあるでしょうか。私は無いと思います。

でも、ときどきいらっしゃいます。考え事をするときに、腕を組んで、目を閉じて、じっと座った状態で「うーん」と考えている人が。あるていど以上の年齢の男性に多いようなイメージです。「わしはこのスタイルなんだ!」と言われそうですが、あれは良くないと思うんですよね。

私は、腕を組んでただ脳みそのみを活動させて思考をしたことがあります。一方で、いろいろと工夫をして体をなにかしら動かして思考したこともあります。体を動かすにもいろいろありますが、思考とは直接に関係ない動きもあれば、思考を助けるために紙に書き出すような動きもあります。思考するときにどういうのが良いか比較できるわけですが、比較してみるとやっぱり体を動かすのが良いです。比較してみれば、ただ考えるだけというのは上手な思考ができないといえます。

体(手)を動かして視覚化もする

2019年の今になってみればあちこちで言われ尽くしたことですが、視覚化するのは思考にとって非常に重大な助けになります。ビジネスをやっている人なら「視覚化せよ」と言われたことがある人は多いはず。ビジネスをやっていなくても、視覚化によって「お!」と思った経験のある人もいらっしゃるでしょう。思考のときに体を動かすのが良くて、さらに、どうせ体を動かすなら、手を使って視覚化をすると良いのです。

ただし、視覚化をするといってもどのような視覚化が良いのかということがあります。それを知らない状態では、あまり効果が高くない視覚化をしてしまう可能性が高いです。どうせ体を動かすなら手を動かして視覚化をする。そして、どうせ視覚化をするのであれば、より効果を期待できる視覚化の方法をとるのが良いです。

効果の高い視覚化の方法

効果の高い視覚化の方法を目指すとき、そこにちょっとアタマを使ったり、工夫をしたりする必要があります。アタマを使うというのは、視覚化をする対象をどのようにレイアウトするのかを考えることです。縦横の位置を気にしたり、囲みを使ったり、線や矢印でつなげたりします。これらは工夫の一貫でもあるのですが、さらに使える工夫としてフレームワーク的な考え方を用います。

思考の話をするときのフレームワークとは、考える対象となる物事を、考えやすくするための枠組みです。たとえばどういうものがあるかというと、フレームワークをいろいろまとめたページがありますので、こちらをご覧ください。これらは先人たちが考え出してくれた非常に便利な枠組みです。この枠組を使うと、われわれが出会うであろういろいろな問題を考えやすくなります。特に、図示やイラスト、グラフィカルな表現を意識して手を動かすと、より思考がスムーズになります。まだ経験のない人はぜひ試してみてください。

 


 



自分のことは他人に訊く

思考力トレーナーの永江です。
キャリアコンサルタントとしてのお仕事の中で感じること。

自己理解や自己分析

進路やキャリアについての相談を受けると、自然と自己理解や自己分析の話になることが多いです。過去や現在についての自分を振り返ってもらって、そこから未来のプランを考えたりします。また、私自身も一人の事業者として自己分析をするし、その結果をもとに事業の計画を立てたりもします。これは、いちどやったらそれでいいものではなく、折に触れて、あるいは意識的に機会をもうけてやるとよいです。人は常に変化をしますから。

自己理解や自己分析というのは言葉のとおり、自分のことを知って分かっておこうとするものです。働くということに関連するものなら、経験や能力、実績などの棚卸しをします。そして、自分の性格や価値観、好みの傾向なども分析をして、どういう仕事の選択をすれば幸せな人生になるかと考えたりします。漫然と人生の選択をするよりも、やはりあるていどしっかりと考えておくのが良いと思います。

「自己」によることの限界

自己理解も自己分析も、とうぜんですが自分で自分に対して行います。でも、自分のことは自分が一番に分かっているかというとそうではありません。意外と分かっていないのが自分というものであり、そこにはどうしても限界があります。ときどき「自分のことなんだから、自分でよく分かっていますよ」という人がいらっしゃいますが、比較して一番かもしれませんが、それで十分に正確であるということもなさそうです。

また、考えてみたら分かることですが、職業として発揮すべき自分というのは主観で見えている自分ではありません。あなたが職業の中で活躍させるべきあなたは、他人から見たあなたです。あなたを評価し、あなたの活動に感謝をし、あなたの能力や人柄に惹かれて報酬を用意してくれるのは他人です。他人から見られたあなたでしか仕事は成立しません。そういう意味でも、やはり「自己」による理解や分析の限界も知っておくのが良さそうです。

インタビューを受けて得た気づき

先日に、とあるインタビューを受けました。ある媒体に掲載をしていただくためのものですが、ライターさんが私にインタビューをして、私を紹介してくださる記事を書いてくださいます。その中で「つまり、永江さんは◯◯なんですね。」と言われてハッとしました。たしかに、言われてみればそうだ。でも、自分で意識することはあまりなかった。しかし、他人から見える私はそうなんだな、と。

個人事業主としての私は自分で自分を評価することが多いです。一方でクライアントさんなどから評価をされているはずですが、客観的に言えることを明確に伝えてくれているとは限りません。むしろ遠慮をされて、感じていることでも言ってもらえていない可能性もあります。実際に、インタビューによって客観的な自分の一部を知ることができました。こうやって他人に自分を掘り下げてもらうのは非常に価値のあることだとあらためて感じた出来事でした。

コンサルティングを受けるということも、今回の私がインタビューを受けたことに似た価値があります。自分では気づかない自分のことに気づかせてもらえるチャンスとなります。自分のことは自分が分かっているとは断定せずに、自分が気づいていない自分に気づくために、他人に訊いてみることをお勧めします。

 


 



利益の使いみち

思考力トレーナーで、人材育成コンサルタントの永江です。
私は、人事部門を専門として経営士会の正会員登録をし、コンサルタントとして活動しています。
人事部門が専門ではあるのですが、コンサルタントですから、とうぜんながら経営全般についてのご相談もお受けいたします。

会社の利益とは

まず、経営者の人なら分かるはずですが、会社の利益とは、社長が受け取るお金のことではありません。オーナー社長であっても、会社という法人から報酬をいただくことになるし、会社の利益とは、期末などの決算が終わったあとに増えている純資産のことです。

ここの違いが分からない人は、このあとを読まないほうがいいかもしれません。

利益の使いみちと、注意点

先に書いておきますが、会社の利益の使いみちを、スパーンと1つの正解としてこの記事で書くわけではありません。私自身がいろいろ考えてみて、先人たちの記録や著述などから学び、あれこれ書いてみるにすぎません。

まず、利益が確保されたら、次の期間における投資として、さらに利益が生まれるような使いみちを考えます。設備投資かもしれません。これまでにやっていない広告宣伝になるかもしれません。もちろん、従業員へのボーナスも考えられるし、福利厚生という形で社員に還元することも考えられます。

しかし、このときに注意したほうがいいと思っていることがあります。それは、スタッフに還元する社長が良い社長であると思われがちということです。世の中に多くありそうなこの考えには経営者として注意したいところです。もちろん、従業員に還元することは良いことです。ただし、それが、慈悲とか慈愛とか、なにかボランタリーな、というか、優しい人柄の現れとしてのものではないということです。

お金の使いみちは事業をうまく運営するため、さらなる利益のため

企業は資産を活用してさらに資産を増やす、つまり利益を追求する存在です。だから、仮にスタッフ等への配分があったとしても、それは利益追求活動の一貫でなくていけません。「あまったから、みんなに分けてあげる」という考えだけでは経営者として失格です。もちろん、そういう考え自体がダメというわけではありません。しかし、会社の資産は会社の存在意義のために使うという大原則を曲げてはいけないということです。

だから、スタッフに還元するならするで、それが、スタッフのモチベーションになるとか、次への活力になるとか、そういう効果も必要なのです。あるいは、引き止め効果があるとか、新しい人材確保のネタになるとかがあればOK。こういうことを言うと打算的だとか、ドライだとか言われるかもしれません。しかし、会社のお金を何に使うのか、それは会社のためという目的が無いのはむしろ法人に対する背任行為です。そうなるとむしろ罪。社長といえども法人に対しての背任はいけないし、利益の使いみちはちゃんと考えなくてはいけません。


 



ノートの書き方、メモのとり方

思考力トレーナーの永江です。
以前にもブログ記事として書いたことがありますが、ノートの書き方はなんでもいいというわけじゃないというお話。

たとえば中学生のノートの個性

たとえば中学生の学習ノートを見ると、書き方はその子の性格も反映してか、本当にさまざまです。ビッチリ隙間なく埋めている子もいれば、自由奔放にあっちこっちに文字が踊っているものもあります。特に、板書用ではなく自分が自由に使えるものだと、その違いはむしろ見るのが楽しくなるほど大きいです。

大人が仕事で実施するメモとりも様々

仕事で電話をとることがある人は、メモをとる機会も同時にあると思います。あるいは、上司からの指示を聞きながらメモをとるということもあると思います。そのときもやはり人によって個性があります。中にはあとで見るとさっぱり分からない状態になっている人もいます。逆に、他人が見てもすごく読みやすく、キレイな文字で読みやすく書かれているものもあります。とにかくメモ取りもさまざまです。

どうでもいいわけじゃない

中学生のノートにしても、社会人のメモにしても、何かの目的があって書いているはずです。目的に合うように紙と筆記用具を使うなら、目的に合うような使い方があるはずです。そのときに「書く」ということをのみ目的としてしまっては適切でない状態になります。そのときに耳にしていることをしっかりに認識するためなのに出来ていないとか、あとで読む必要があるのに読めない文字になっているとか。そんなことにならないように、常に、ノートも、メモも、書き方には注意をしたほうが良いです。

少し具体的なことを書いておくと、文字があとで読めるレベルで書かれていること、どういうふうに紙の上にレイアウトしていくのかを感がていること、縦横の並びを意識すること、などが基本的なものとして有効です。これらのことにちょっと注意しながら書くようにすると良いかと思います。

お金を払って得られるもの

思考力トレーナーの永江です。
今日のお話は、ふと考えてみたこと。
お金を使うことで……。

生きていくためにお金が必要

おそらく日本で生きているほとんどの人が、生きるためにどうしても必要なものをお金によって得ています。食べ物、飲み物、生活の拠点(家など)、水道光熱費などにあたるものなどにお金が必要です。その他にも、私の場合は通信費がないと仕事にならないし、自動車に関係するものも無ければ仕事に出かけられません。

どのようなものが生きるために必要なのかは人によって異なる部分もあります。でも、なんらか、絶対に必要なものをお金によって得なければいけないという点はすべての人に共通すると思います。お金を払って得られるもののひとつ、まず、生きていくために必要なものが挙げられます。

より充実した居心地

今日、この記事を書くきっかけになったのがこの部分です。ある打ち合わせの予定を、いつもの場所ではなく、レンタルスペースで実施することを思いつきました。ちょっとそれが必要な事情があってのことなのですが、とにかく場所を変えるアイデアです。そして、その場所の候補にいくつか考えたのは「居心地が良さそうな素敵空間」ばかり。どうせ変化があるなら、良い方向での変化を求めてのことでした。

変化した先の場所だともろもろの収支を考えるとちょっとだけ出費が増えます。でも、そのちょっとだけ増える出費によって、いつもより素敵な空間での打ち合わせができるんです。打ち合わせそのものにはその空間の素敵さは必要ないのですが、過ごす時間がなんとなく充実したものになりそうな空間でした。得られるものは単にいつもより少し良い居心地だけ。それでも、お金を払って得るものとしては良いものなんじゃないかと感じました。

増えて返ってくる投資としての支払い

ビジネスをやっている人なら誰でも考えることですが、どうせお金を使うならば、投資となって後で増えて返ってくるのがよいです。上述したものはそれの期待があまりないですが、明らかに期待して出費するものは確かにあります。

投資家が行うまさに投資はそうだと思いますし、一般の人でも、投資だと考えて支出をするケースが少なくないと思います。たとえば、社会人の方が資格などのためにする勉強にかかる費用。これなんかは、その後に可能性がある仕事と、それにともなう収入が期待されています。継続的なその収入が期待できるのであれば、資格取得のためにかかる費用(学校や講座、受験料など)は安いものだと考えられるわけです。

お金を払って得られるもの

お金を払って得られるものはいろいろあります。いろいろあるのですが、目の前にある物品やサービスだけではないというのが重要です。そこに付随して得られる感覚や、有効な投資として増えて返ってくる資産。そういう目に見えないものに意識を向けてみるのも良いのではないかと思います。

 


 



逆説的、志望動機の活用方法

人事系コンサルタントの永江です。
コンサルティングのお仕事とあわせて、講師としてのお仕事をいろいろとさせていただいています。
就職のための訓練に参加している人たちむけの先日の講座でこんなお話をさせていただきました。

志望動機はとても大切

就活支援講座の中に、志望動機の書き方という項目があります。履歴書に書いたり、職務経歴書にも同様の内容を書いたり、面接では初めの方の段階で質問されたり、とても大切なもののひとつです。

雇用する側からすれば、求人内容のどういうところに応募者が興味をもち、どういう価値判断で応募をしてきたのかをはかるものです。また、本人の特性やスキルと求人内容がマッチしているかどうかを簡易的に確認することも可能になる問いかけでもあります。採用に至るかどうかは端的にいえばマッチングなので、とても重要なアピール材料にもなります。

普通は応募先を決めてから書く

志望動機の中に何を書くかといえば、「会社、仕事内容、それらのどこを気に入って応募したのか」というのが一般的です。ということは、通常であれば、応募する企業を決めてから書きます。どんな会社でどんな職場なのか、どういう仕事内容なのかは、求人情報を見ないと分かりませんし、「志望する!」と思ってから、その理由がどこにあるのかを書くことになるからです。

しかし、こんな方法で、具体的な志望先を決める前にも活用ができるのではないかと考えました。

仮想の志望先を決めて、そこに志望する理由を書いてみる

その方法とは、仮想的に志望先の企業と仕事内容を考えて、そこに志望するとしたらどうしようかと考えて志望動機を書くというものです。そして、その仮想の志望動機をもとに、それにマッチする求人を探すという方法です。

本来の使い方ではないので否定される方もあるかもしれません。でも、そもそも求人探索をするときにボヤーッとなんとなくやっている人がときどきいらっしゃいます。そういう人にとっては、「どんな求人が良いのか」ということをいったん明確にする道具になると思います。そういう使い方もあっていいのかもしれないと考えての提案です。

「ここに応募しよう!」と思った実際の求人に対しては、仮想で書いた志望動機は修正する必要もあると思います。それはもちろんすればよくて、あくまでも仮想は仮想にすぎません。修正するとしてもゼロから書くよりは速く書けるでしょう。そういうメリットも少しだけありそうです。

現在、就職活動をしているという人は、どうせ履歴書の準備は必要なのだから、ちょっと試してみていただけるとよいのではないかと思います。


 



叱るときはスパッと一瞬で【零細企業の人材育成】

人材育成コンサルタントの永江です。
社長さんが従業員を叱る場面、上司が部下を叱る場面、先生が生徒を叱る場面、いずれもスパッと一瞬で終わらせるのがよいです。

長々とお説教が続く人

いらっしゃいますよね。叱るというよりも、注意を与えるということで、長々とお説教をしつづける人。私は出くわしたことがないのですが、30分から1時間という人も珍しくなく、それより長く数時間という人もいらっしゃるそうです。いけません。

説教が長くなる人は、たとえば自分の説明が相手に正しく伝わっているのかどうか自信がないのかもしれません。ちゃんと伝わらないとまた同じ失敗をする。だから、自分で納得できるまで説明を続けるのだ。あるいは、部下が犯したミスに対してのマイナスの感情を説教することで晴らそうとしているのかもしれません。実はこの感情は説教しつづけることで晴れるものではないので、延々と説教が続きます。

長い説教のメリットとデメリット

長い説教のメリットは……、おそらく無いです。本人の気が晴れるかというとそうでもないですし、それによって部下の成長が促進されるかというとそれもありません。まあ、「おれがたっぷりと指導してやった」と勘違いしている人もいるかもしれませんが、実際にそういうことはありません。だから、メリットはないと思ってもらってけっこうです。

デメリットはたくさんあります。仕事の中なら時間が無駄になります。そして時間をかけたわりに叱られている従業員の心には響きません。「早くおわらないかな」くらいのことを思われて話の中身を聞いてもらえなくなるのが関の山。お互いに不愉快な感情だけが残って教育効果が薄いのが、長い説教というものです。

注意喚起、叱るときはスパッと!

とはいえ、従業員は失敗をします。人間ですし、自分よりも経験が浅いのであればなおさら。注意を与えなくてはいけない場面や、指導すべき状態になっていることはおおいにありえます。そのときには、スパッと短時間で、できるだけ短く叱って、それでおしまいにします。

インパクトを与えるためにキツい言い方をするのは場合によっては有効です。ただ、これはキャラクターによるので、ただ単に、ダメだった箇所を短く指摘して、どうするのが良かったかを考える機会と時間を与えます。短いやりとりだと伝わらない心配を持つかもしれませんが、短く伝える工夫と努力は経営者に必要なものだと考えます。できないのであればトレーニングすべき事柄のひとつだと思います。

従業員・スタッフに注意を与えるときには、あるいは叱るときには、短くスパッと一瞬で終わらせることをお勧めします。

 


 



社長が評価できる範囲は限定的である【零細企業の人事】

人材育成が得意な人事系コンサルタントの永江です。
思考力トレーナーでもあります。

会社の規模にかかわらず人事評価はしっかりしたい

部下スタッフに対しての評価をどうすると良いのかという点において、小さな会社だから曖昧でよいなんてことはありません。会社の規模にかかわらず納得感を得られる評価をすべきです。そして、その評価を伝えるべきです。小さな会社だから、忙しくて時間がないから、というのはすべて言い訳にすぎません。経営者は、しっかりと従業員を評価すべきです。

ふわっとした評価の仕方は問題がある

零細企業の場合は、社長とスタッフの距離が近くなります。場合によっては仕事をしている間ずっと一緒に居ることもあります。そのうえで人事評価をして査定となって報酬の変更があったりします。その際に、評価項目をきちんと定めておくのが理想ですが、なかなかそうはいかずに、あいまいなままフワッと人物の全体を評価するケースもよく見られます。これはあまり良くないです。

なぜ項目を定めておく必要があるかというと、親しい関係での付き合いによって、仕事以外の部分を評価に加えてしまうからです。たとえば、なんとなく声が自分の好みだから、全体的に良い評価をしてしまう。イメージのよくない地域の出身だったから評価を下げてしまう。そんなことあるかと思いそうなことを、人は無意識にやってしまうのです。この点にはよく注意をしなくてはいけません。

限定的であるはずの「社長からの評価」

評価項目を定めるということは、評価する事柄を明確にすることです。一方で、「評価の対象としないもの」を明確にすることでもあります。項目が具体的に定まっていれば、そこに並んだ項目以外で評価することはなくなります。

そもそも経営者がスタッフを見て、仕事に関することで評価できることは限定的です。なぜなら、仕事の間の付き合いしか基本的にはないからです。業務時間外に食事に行ったりするかもしれませんが、そこでもスタッフは完全な素の姿を見せるわけではありません。やはり上司である社長に対しては遠慮もします。だから、仕事に関することしか見えないし、評価できないものなのです。

評価項目を設定していないと、仕事と関係ないことに評価が引っ張られるおそれがある。社長が評価できることはそもそも限定的なので、そこを肝に銘じて評価は項目の設定からしっかり行う。これが零細企業においても必要です。

 


 



成果を出すには素直さが大切

永江です。
加賀市で学習塾をしながら、金沢でも学習塾の講師をやり、思考力トレーナーとして個人むけのコンサルティングもやっています。今日は、その中で感じることについてのお話です。

成果が出やすい人とそうでない人

企業組織をクライアントとするコンサルティングとは違って、学習指導や個人コンサルティングは、まさに個人が相手です。そうすると、私がやっていることの成果は、その個人がどう変化するかに現れます。学力が上がったかどうか。資格試験に合格したかどうか。思い描いたような就職ができたかどうか。収入を増やすことができたかどうか。

いろいろな人の成果の上がりぐあいを比べてみるとやはり傾向が見られます。数値として統計をとっているわけではないですが体感として分かります。基本的に、私がアドバイスをしたことを素直に受け入れる人は成果が出やすく、そうでない人はそれなりです。やっぱり、素直さというものは大切だと思います。

アドバイスを受け入れる素直さとは

素直であるということは、なんでもかんでも言うとおりにするということではありません。コンサルティングを受けたり、学習指導を受けたりする場合であれば、アドバイスを実行せずして否定しないということになります。「◯◯をやってみてはどうですか」と伝えたときに、やる前からそれを否定するのかしないのか。素直な人は、まず、とりあえずやってみる行動力があります。

やらない理由はいくらでも言えるのですが、とにかくやる前から否定する人は成長もしないですね。やってみて、頻度や回数、レベルなどの点で言ったとおりにはできないこともあります。それでも、否定してやらないよりは格段に違いがあります。やってみることではじめて見える景色がありますからね。

そもそも何かの相談ごとに来るとか、コンサルティングを受けるとか、学習塾で勉強をするとか、いずれの場合も課題があるから来ているわけです。課題がある状態を改善するためには、これまでの自分のどこかを変えないといけません。つまり、改善したければ変化が前提となるわけです。

変化が前提なのに、人からの助言を受け入れずに、とにかく言い訳をならべて実行しない。もちろん、私が伝えることが必ず正解とは限りません。私のアドバイスに沿って実行をして、うまくいかない可能性はあります。でも、成果を出す人は、助言どおりにやってうまくいかなくても、まず文句などを言うことはありません。前向きに、次のチャレンジに向かいます。こういう姿勢が、課題を克服する変化につながるのでしょうね。

 


 



上に立つものが持つ「ちゃんと説明する」という責任

思考力トレーナーで、人事系コンサルタントの永江です。

そういうものだから、そうする。決まりだから、ルールだから。

しばしば耳にすることです。学習塾や学校で生徒が「どうしてそうなるの?」と先生に尋ねます。それにたいして先生の答えが「そういうものだから、そう覚えておいて。」というもの。会社でも同様の場面があって、私自身が何度も出くわしました。部下が上司に「これをこうするのは、なぜでしょうか?」と質問すると、上司が部下に答えるのが「会社の決定だから。」とか「そういう決まりだから。」というものです。

言葉の意味として間違いではないんですよね。そういうものだから、そうする、そうなる。決まりだから、そうする。決定事項であるからそうする。それ自体は間違ってはいないことがほとんだと思います。

理由を伝えられないことの弊害やデメリット

そういうものであるとか、決まりであるとかは、たしかにそのとおりなのでしょうが、言われたほうはそれで納得するのでしょうか。私が接するケースだけではないと思うのですが、やはりどこかに不満げな感じになってしまうと思います。学校や塾の生徒なら、モヤモヤした感じで無理やり覚えようとするから勉強が楽しくありません。会社の部下なら、不満を持ちながらその業務にあたることになります。

子供の勉強についていえば、せっかく持った「どうしてだろう?」という好奇心を阻害することになります。会社の部下の例でいうと、意欲が低い状態で仕事をするのでパフォーマンスが悪くなる可能性があります。いずれにしても、理由が説明できないというのはあまりよろしくありmせん。

「そういうもの」だと伝えがちになる3つのパターン

学習塾や学校の勉強の場合は、事実として「そういうもの」だと言えるケースが3つに分類できます。ひとつは自然の摂理としてそうであるもの。2つめが、便宜上で誰かがそうだと決めて一般的に運用されていもの。3つめは、それによって成立する定理のようなものです。

1つめの自然の摂理は、たとえば万有引力があることのように、いわば「神がそうしたもうたこと」です。おそらくいくらつきつめても「理由」は分からず、せいぜい、「原理」を解明できるくらいでしょう。こういうものの説明に、私の場合なら、まさに「神様がそうしたのだ」と言います。これについては「理由などない」と言ってもいいし、我々が生きているこの世界は、そういう「神の創造物」のうえに成り立っています。

2つめのものは、たとえば数学で使う加減乗除の記号「+、ー、×、÷」や等号「=」や不等号「>、<」、簿記において貸借のどちらのグループを右にするのか、左にするのか、といった事柄などです。これらは、そもそもそうじゃなくても問題はなかったのですが、いったん誰かがそういうふうに決めて、あるいは自然に共通の符号としてみんなが使うようになって、それで、後世に生きる我々もそれに倣っているだけというものです。だから、これらについて「なぜ?」と質問されたら、私は、「誰かがそう決めた。誰かが決めなければ話が進まなかった。進めてくれた人に感謝しながら、それに倣って我々も話を進めよう。」と説明します。

3つめについては、1つめと2つめによって成立する事柄なので、それを使って説明できます。だから、3つめのことについて質問されて答えられないとしたら、その事柄について知識がないか、怠慢か、口止めをされているか、のどれかです。知識がないなら「すまないが、知らないのだ。」と正直に言う潔さがほしいところです。怠慢は論外なので心を入れ替えましょう。口止めというほどじゃなくても会社の場合なら、立場上の問題で言えないこともあると思います。この場合も「決まりだから」や「会社が決めたことだから」ではなくて、もっと上手な言い方を考えるべきだと思います。「すまないが、今は言えないのだ。申し訳ない。」と素直に言える上司のほうが部下は信頼するんじゃないでしょうか。

「上に立つ」ものの心構えとしての「ちゃんと説明する」姿勢

私は、上述の3つのパターンを意識したうえで「そういうものだから」と言っておしまいにすることを出来るだけ避けています。神様がそういうふうに作ったことと、誰かがそういうふうに決めたこと。これらは、本当にそのように伝えます。そして3つめのパターンについては全力で説明をします。分からない場合は「分からない」と答えます。塾の学習指導の場合は、自分への宿題として、次回までに調べて答えるようにしています。

会社員として働いていたときも、部下から質問されたときに「そういうもの」という言い方はぜったいにしないようにしていました。自分がそういう言われ方をしたときに納得できなかったからです。ときには、同僚の管理職が部下に対して「会社が決めたから」と言っているのを聞いて「彼にとってはあなたが『会社』なのだから、そういう言い方では不満が残る」と主張したこともあります。これは今になって考えると越権行為であった可能性もありますが……。

いずれにせよ、下から仰ぎ見られながら質問を受けたときに、それを受ける立場の人間は「ちゃんと説明する」姿勢が重要だと思います。そうでなければその立場にいることの責任を果たしているとはいえないとさえ思います。「調べてからあとで答える」でもかまわないと考えればそれほど大変ではないはずです。上に立つ人の心構えとして持っているといいのではないでしょうか。